京急長沢駅に近い長沢海岸の字(あざ)中村、東、下(しも)の三か所で、ことしも「おんべ焼」が行われた。一月十五日の明け方である。前日まで町内会役員が中心となり松や竹でおんべを組むと、地域の人々は門松やしめ飾りを持ち寄る。かつては、おんべに点火する前に、子供たちは里のすみずみまでふれ回った。呼び掛けは、時と所で異なるが、北下浦公民館主任の君島昭さんは「一例だが・・・」と語ってくれた。
「デエセエナ(出てこないか)、デエセエナ、セエトオンべ燃スゾ。ジンジモ、バンバモ、飛ピ起キロ。デエネエモーナガニガンゾ(寝床の中に縮こまっていないで)、ケッパノ中ノガニガンゾ(やどがりのように貝の中に縮こまっていないで)。デエセエナ、デエセエナ、セエトオンべ燃スゾ。ジンジモ、バンバモ、飛ビ起キ口。マツヤキ(松焼)デエセエナ」
昔は、おんべ焼が始まると、若者は海へ飛び込んだあと、おんべの火で体を温めた、という。子供たちは、御幣を持って各家を回り病人を元気づけた、とも。おんべで焼いたモチを食べると無病息災、書初めを燃やし燃えかすが空高く舞うと書の腕が上がる、燃えさしの枝を家の回りに差すと、魔除けや虫除け・・・などと信じられていた。
夜明けの海を背景に行われる「おんべ焼」は、荘厳にして豪快といっても大げさではない。約千人の人々が集まるが、カメラ片手という人が多い。その力作は、毎年二月に行われる北下浦公民館の友の会文化まつりに展示、訪れる市民の目を楽しませてくれる。
「おんべ焼」は、どんど焼、さいと、おんび焼、左義長(さぎちょう)などともいい、正月行事の火祭り。県下で代表的なのは大磯町の左義長であろう。
ほかに横須賀市内では、一月五日に須軽谷(すがるや)、八日に同じ長沢の入(いり)、久里浜、野比、十五日に鴨居で行われた。戦前は根岸、走水、馬堀のこうじや谷戸(やと)、武山、大田和などの各地でみられた、という。
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