石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


「夜明け前」  『藤村の父モデルか』
原文

「当時の横須賀はまだ漁村である。船から陸を見て行くことも生れて初めてのような半蔵等には、その辺を他の海岸に比べて言うことも出来なかったが、大島小島の多い三浦半島の海岸に沿うて旅を続けていることを思って見ることは出来た。ある岬のかげまで行った。海岸の方へ伸びて来ている山の懐に抱かれたような位置に、横須賀の港が隠れていた。 公郷村とは船の着いた漁師町から物の半道と隔つていなかった。半蔵等は横須賀まで行って、山上の噂(うわさ)を耳にした。公郷村に古い屋敷と言えば、土地の漁師にまでよく知られていた」  これは、島崎藤村不朽の名作「夜明け前」のー節である。作品の主人公、青山半蔵のモデルは、作者藤村の父島崎正樹だ、といわれ、半蔵が江戸に出て平田の門人となる途中、青山家の祖先である山上家を公郷村に訪ねたのであった。 この山上家こそ今、安浦町一丁目に残る赤門の永島家だ。六百三十数年前のこと、三浦一族のひとり三浦義政がはじめて永島姓を名乗った。その三代目の正義の弟、正胤が木曽に下つて島崎姓を。これが島崎藤村の先祖で、「夜明け前」では青山家となっている。 この山上、青山両家つまり永島、島崎両家は、同じ三浦一族の出身であった。作品の中で、半蔵が、永島家を訪ねたきっかけともなったところ。「夜明け前」では、山上七郎左衛門が木曽路を行く途中、妻篭(つまご)の本陣の紋が、自分の家のと同じことに気づいた。 「自分は相州三浦に住む山上七郎左衛門というのであるが、かねて自分の先祖のうちに分家して青山監物と名乗つて、三浦から木曽の方へ移り住んだと聞いているが、もしか本陣の先祖は青山監物という人ではないか」と尋ねた。再び、古いかかわりがよみがえった。
原本記載写真
島崎藤村の名作「夜明け前」 に登場する山上家は、聖徳寺坂わきの安浦町1丁目・赤門の永島家。写真は、邸内にある円筒形の高さ1.8bの道標。近づいてよく見ると、「右、大津浦賀道、左、横須賀金沢道」と刻まれている

寄稿・補稿欄
皆様からの関連する記事・写真などの寄稿をお待ちいたしております。

参考文献・資料/リンク
横須賀市市立図書館
皆様からの声
ご意見、ご感想 お寄せ頂ければ幸いです。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい


ご氏名 ペンネーム ハンドルネームなどは本文中にご記入下さい。 尚、本欄は掲示板ではございませんので即時自動的にページへ
反映される訳ではありませんのでご承知おき下さい。

メール:(携帯メールも可)