武山丘陵に続く、海抜百八十二bの三浦富士を、古くから富士山とみなして霊山とあがめている。
身近な登山道は、三浦海岸側の津久井と長沢からのニつ。長沢からの道は、急坂が多い。富士山は、古くから山岳信仰の対象となっていた。富士信仰が全国に広まるにつれ、各地に浅間(せんげん)神社が建てられ、江戸時代の三浦半島にも、十二力村で祭られていた。
富士講は、永禄三年(一五六〇)に長谷川角行という人が組織した、といわれる。江戸末期には、江戸市中でハ百八講もの繁栄をみた、そうだ。
三浦半島にも多くの富士講があったが、今は三浦富士のふもとに近い津久井や長沢で健在。ひとつの講には先達、世話人、講元がいて毎月、一定の日、たとえば、八日ならその夜には宿に集まり祈祷(きとう)する。
頼まれると、先達は、病人の枕元でお焚(た)きあげをし、その煙に数珠をかざし神霊をこもらせて、病人のからだをさすり病気を治す、という。
三浦富士の山開きは七月八日。山頂では、富士講の行者によってお焚きあげが行われる。狭い山頂は線香の煙でいっぱい。商売繁昌、豊作、大漁などを祈願する人たちで、足の踏み場もないほどである。
日ごろ沖を行き交う舟が頼る山だけあつて、海に生きる人たちの信仰も厚い。待ってきた大漁旗を、お焚きあげの煙にかざす姿も。
ちなみに、講には、次のようなものがある。日蓮宗の題目講や浄土真宗の報恩講などの宗派
成田講などの寺院 伊勢講や金毘羅(こんぴら)講などの神社 田の神や山の神の講、庚申(こうし
ん)講、二十三夜講などの特定の神仏の信仰 修験道の色濃い山岳宗教の御岳(みたけ)講や、今回触れた富士講など。
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