「夕日がきれいですよ」と、海辺のお年寄りは語る。相模湾の落日が、自慢のひとつ。大楠小学校わきを下ると、芦名の海岸に出る。
その小高い丘に「淡島(あわしま)様」と呼ばれる神社がある。三月三日には参詣(けい)する人たちが絶えない。
「あわせて下さい、あわしまさまよ、お礼参りはニ人づれ」とお願いする若い人たちも、チラホラ。
淡島様については「三浦古尋録」(文化九年刊)には「紀州名草郡蚊田(今の和歌山市加太)の明神を勧進すと云い、粟島(あわしま)は天照大神(あまてらすおおみかみ)の妹にましまして住吉明神
の后(きさき)に立給(たちたもう)とも御身に帯下と云う病い有故(あるゆえ)に綾(あや)の巻物、神楽(かぐら)の太鼓を天(あま)の岩船に積みて紀州粟島に流され給う。婦人の輩(やから)、帯下病て治せし給ふ」とある。つまり、天照大神の妹さんで住吉明神の后となった粟島明神は「こしけ」、婦人病で苦しまれた。そこで、同じ病気で悩む人たちを救う神様となられたわけ。
参詣者は、底抜け柄杓(ひしゃく)の柄(え)に麻を結んだものを奉納するしきたりは、淡島様を腰の病の救済者という信仰から、安産の神としての信仰が加わった表れだ、という。
なお、近くには十二所(じゆうにそう)神社がある。明治維新前までは、十二天と呼ばれた。
寿永二年(一 一八三)八月に、源頼朝の夫人政子の安産祈願のために、三浦一族の佐原十郎義連(よしつら)が、この神社に参拝した、と鎌倉幕府の記録書、吾妻鏡に記されている。境内には、帯解(おびとけ)子安地蔵がある。
安産といえば、久留和(くるわ)の海岸で子産(こうみ)石が取れた。丸い石で子供に恵まれぬ夫婦が家に持ち帰っておがむと、子供が授かる、といわれた。
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