石井 昭 著 『ふるさと横須賀』
横須賀市誕生 @ 『明治40年、人口6万』 |
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豊島町と横須賀町が合併した翌年、明治四十年(一九〇七)二月十一日、ついに横須賀市が誕生した。県下では、横浜市に続くニ番目の市である。当時の人口は六万二千八百七十六人、戸数はー万千四百三十二戸、面積は十三平方`。一戸当たりの人口は、五・五人だった。 さて、市制施行当時の町名は、逸見町、湊(みなと)町、汐入町、汐留町、谷町、元町、諏訪町、旭町、稲岡町、山王(さんのう)町、小川町、大滝町、若松町、泊里(とまり)町、楠ケ浦町、坂本町、深田町、佐野町、公郷町、不入斗(いりやまず)町、中里町のニ十一。 この地域は、今の中学区でいうと、桜台中(逸見、吉倉)、坂本中(汐入、坂本)、常葉(ときわ)中(下町)、不入斗中、公郷中(ともに上町地区)の範囲に当たる。 市役所はその中心地、諏訪町(今の緑ケ丘・ヨゼフ病院の所)に建てられた。 木造瓦(かわら)ぶきニ階建てで、延べ二百四十六坪(約八百十平方b)。なお、ー階は百三十八坪(約四百五十五平方b)で事務室、二階は百八坪(約三百五十五平方b)で市議会場など。この庁舎は、 工事費一万三千円、市制施行の半年後に完成。 記念式典は、市役所西側に同居の高等第一横須賀小学校(のちの諏訪小)の二階三教室をぶち抜いて会場とした。「この日は天気晴朗で余寒もまた甚(はなはだ)しくなく春光、麗(うらら)かな日であった」という。 |
明治40年(一九〇七)2月11日、横須賀市が誕生。県下では横浜市に次ぐ2番目の市で、当時の人口は六万二千八百七十六人、戸数は一万一千四百三十二戸。写真は、諏訪町(今の緑が丘の聖ヨゼフ病院の所)に建てられた市役所。工費は一万三千円だった |
横須賀市誕生 A 『初代市長に鈴木氏』 |
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初代市長に、前横須賀町長の鈴木忠兵衛、助役に栗田万五郎、収入役に長島幾蔵が就任した。議長には、前豊島町長の石渡担豊が。 当時の市役所の機構は庶務、教育、戸籍、兵事、土木、税務、勧業、衛生の八課と水道局。職員はわずか三十八人。一年後には、六十人を超えた。 初めての市会議員選挙は、市制施行の明治四十年(一九〇七)四月に行われた。 議員定数は三十六人。選挙人は、納める直接市税の額によって三階級に分かれ、それぞれ同数の議員が選ばれた。議員の任期は六年で、当初は三年ごとに半数が改選。有権者はー級百三十一人、二級三百二十七人、三級八百九十一人で、合計千三百四十九人だつた。人口百人に対する有権者数は、わずかニ・一人。 当選者は、次の人たち。 一級=小泉又次郎、川島喜之助、田浦安邦、鈴木太吉、堀田辰吉、青木兼吉、永島庄兵衛、清水猪之助、長島玄廓、北村一兵衛、今井安次郎、鈴木藤吉。 二級=浅羽長左衛門、今井仙三郎、椿徳次郎、石渡担豊、小山定吉、大久保栄太郎、石井長右衛門、青木亀吉、村野惣左衛門、今井留吉、秋野治郎、津金源七。 三級=高橋美重、石渡松吉、角井留吉、鈴木万吉、鈴木惣兵衛、遠藤秀次郎、永島登司、石渡竜太郎、小久保勘吉、大谷之承、鈴木為三郎、後藤八郎。 宮城県本吉都窪山町の林辰治さんから「横須賀市創設乃(の)選良」という資料が送られてきた。横百十a、縦七十五aのー枚の紙に、初代市長ら三役はじめ市会議員、学務委員など、五十五人の顔写真がギッシリ。発行は横須賀タイムス社、明治四十年六月六日とある。林さんは現在、津山町教育委員会の教育長。 「小生宅の古い物を整理中にありました。当方で保存するよりも・・・」との文が添えてあった。 |
明治40年、横須賀市が誕生した、当時の鈴木忠兵衛初代市長をはじめ助役、収入役、市議会議員ら55人の顔写真が載った写真資料が見つかった。写真は、同資料の「横須賀市創設乃(の)選良」。明治40年6月6 日、横須賀タイムス社発行とある |
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