石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


法塔  『二大霊場を結ぶ』
原文

下町から三崎方面への県道を行く。衣笠十字路手前の左奥にかつての法塔十字路がある。金谷に向かう旧道だ。道沿いに法塔と呼ばれる石碑がニ基。 向かつて右側は約二bの高さ。表面に「日蓮大菩薩発願霊場」とあり、書は龍本寺二十五世。 慶応元年(1865)六月に建立。 左側の碑は「宗祖大士行法霊地」とあり書は大明寺三十二世日潤。これは天明元年(一七八一 )十月の日蓮五百遠忌(おんき)に村人たちが建てたもの。その台石には「東浦賀・西鎌倉・南三崎・北横須賀」とあり、昔の浦賀道、鎌倉道、三崎街道の道標でもある。 このニつの碑の書は、かたや龍本寺二十五世、かたや大明寺の三十二世。 このことは日蓮宗の二大寺院を結ぶ点で意義深い、といわれる。かつて郷土史家の高橋恭一先生は、「碑には『霊場』とか『行法霊地』とあるが、この場所が霊地・霊場ではなく、霊場は両寺でそれを結ぶものがこの碑である」といわれていた。  建長五年(1253)に日蓮が上総(かずさ)から鎌倉へ向かう途中、猿島を経て米(よね)が浜へ。そこに草庵を建て「米が浜霊地」とか「三浦法華(ほつけ)堂」といって、日蓮が行法の地と されている。これが、龍本寺の起源であるという。日蓮宗の聖地のひとつである、とも…。 龍本寺の六世、大明房日栄がこの「三浦法華堂」を今の大明寺の場所に移し、自分の房名をとつて大明寺とし「法華堂」の旧跡を大明寺の奥の院とした。これが龍本寺であつた、といわれる。大明寺と奥の院である龍本寺とを結ぶ途中に法塔を建て、道標をも兼ねたのであろうか。  この辺り、その昔は平作川の洪水で悩まされた、という。一段と土台を高く した家並みが目にとまる。近くに、横須賀市はまゆう会館が開館された。
原本記載写真
横須賀市内には猿島、米が浜、お、穴さま・・・・ と、日蓮上人にまつわる話題が多い。 写真は、衣笠十字路に近い「法塔」。金谷の大明寺と、深田の龍本寺とを結ぶ、道標も兼ねていたともいう。法塔十字路のわきにある

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