横須賀造船所内に電灯がついたのは、明治十六年(一八八三)である。
この年、わが国初の電力会社「東京電灯会社」が誕生した。
エジソンが白熱電球を発明してから四年後の話。
造船所が、全国の営業点火のトップを切ったのだ。
ちなみに神奈川県下では、二十二年十月に、横浜共同電灯会社が開業している。
電灯の明りを見て「風が吹いても消えないのか」、「しんがあるのか」などと造船所勤めの人たちがつぶやいた、とか。
もともと電灯は、文明開化の先端をいく官庁や、造船所のような官営工場から点火。
家庭では、石油ランプやロウソク、町中や商店では、ガス灯が続いた。
二十二年後。三十八年九月、市内に電灯を供給する「横須賀電灯株式会社」が
発足、資本金はニ十五万円。翌年には「横須賀瓦斯(ガス)株式会社」が創立された。
さらに、四十年六月には両社が合併、社名を「横須賀電灯瓦斯株式会社」と改め、資本金はニ千四百万円。
本社と発電所を若松町八十八番地に置いた。
今の東京電力横須賀営業所の場所である。
今なお、発電所当時の赤レンガが地中に埋まっている、という。
そのころ電灯のついた家庭は、七百九十七戸、全市二万千四百三十戸の七%。
「横浜電気株式会社沿革史」(大正十一年刊)によると、横須賀発電所の規模は発電力四百`ワット。
電力を若松・大滝線、元町(今の本町)・逸見線、浦郷・葉山線、山ノ手及び浦賀線によって供給し、
六浦荘村や金沢村(今の横浜市金沢区)へも送電。蒸気汽缶が三基、給水筒が二基温水器がー基などで発電した。
ー社名の変遷にもかかわらず、戦前は”電灯会社”と呼ばれ親しまれた。
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