石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


石油ランプ 『明治30年代が全盛』
原文

蛍光灯の明るさに慣れた現在、石油ランプに頼る生活は想像できない。 だが、ランプが、それ以前のロウソクや行灯(あんどん)に代わった時、人々の驚きは大きかったようだ。 江戸時代の明かりは、種油の行灯が、おもだった。越後地方には臭水(くそうず)と呼ばれた原油を、 布切れに浸して点火した例もあるが、洋式のランプは幕末の安政、万延のころから。 明治五年(一八七二年)ごろ国産品が作られ、二十年代に普及、三十年代が全盛だった。 ここで”ランプ論議”をひとくさり。
◆力ンテラー鉱夫が持つ手ランプ。常磐炭坑の「鉱山節」に出てくる。 力ンテラとはオランダ語で提灯(ちょうちん)のこと。
◆角灯ー石油を使つた携帯用の照明器具、明治時代の巡査が持ち歩いた。
◆アセチレン灯ー白光を発した。夜店の明かりに使われ、独特のにおいがした。
◆ガス灯ー街灯の元祖。点灯夫といって夕方、点火して歩く職業があった。
 話をすすめよう。石油ランプには、つりランプや置きランプがあった。 肝心のしんには、平しんと巻きしん(丸しん)のニつ。 しんの出し入れを歯車で調整する平しんランプには、しんの幅により ニ分(ぶ)しん、三分しん、五分しんなどがあったが、石油の消費が少ないので、 さほど明るくなく廊下、台所、茶の間に使われた。 一方、しんの幅が広い巻きしんランプは、石油の消費が多いだけに明るい。 警察や客間に使われた。 ランプの火を覆うガラス製の筒をホヤと呼んだ。形は最初、らっきょう型だったが、 のちに上下の太さが同じ筒型の竹ホヤに。ホヤはしんの扱いがへただと、油煙ですぐ汚れてしまった。 「ホヤをはずして、息を吹きかけて雲らせ、ホヤの中を磨く。 綿の玉を、竹の先にくくりつけた道具で・・・」と語るお年寄りは、市内の各地におられる。
原本記載写真
あんどんから石油ランプ。その石油ランプの普及とともに、やがて電灯が身近なものに なった。明治11年(1878)3月25日、東京の銀座に街灯がお目見えした。 写真は、昭和初めころの横須賀市汐入町の大通り

寄稿・補稿欄
皆様からの関連する記事・写真などの寄稿をお待ちいたしております。

参考文献・資料/リンク
横須賀市市立図書館
皆様からの声
ご意見、ご感想 お寄せ頂ければ幸いです。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい


ご氏名 ペンネーム ハンドルネームなどは本文中にご記入下さい。 尚、本欄は掲示板ではございませんので即時自動的にページへ
反映される訳ではありませんのでご承知おき下さい。

メール:(携帯メールも可)