石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


弟橘媛命の歌碑  『明治の要人が建立』
原文

浦賀水道を隔てて房総を望む走水神社の境内に、日本武尊(やまとたけるのみこと)の御后(おきさき)弟橘媛命 (おとたちばなひめのみこと)の歌碑がある。 碑は明治四十二年(一九〇九)十月に建立。碑文には「平八郎等七人相議(はか)り」とある。 七人とは、海軍大将の東郷平八郎、伊東祐亨(ゆうこう)、井上良馨(よしか)。陸軍大将の及木希典(まれすけ)、 枢密顧問官兼御歌所長の高崎正風、海軍中将の上村彦之丞(じよう)、陸軍中将の藤井茂太。 そのころ、海軍の運輸業務を請け負っていた相模運輸の初代社長川井嘉蔵(当時は川井運輸)が援助。 碑には竹田宮昌子内親王の筆による弟橘嬢命の辞詠が。
さねさし
さがむのをぬに
もゆるひの
ほのかに たちて
とひし きみはも

歌の大意は「相模の野に燃え盛る火の中に立って、私の安否を尋ねて下さる君よ」。 なお、碑や台石は、小田原在の根府(ねぶ)川石。碑の高さ約四b、厚さ十五aから三十a、 幅は九十aからーb三十六a。 台石の高さ約一b五十a、幅は三b四十aという、見上げるほどの大きさだ。   「古事記」などによると、日本武尊が東征の折、走水に数日滞在後、 向かいの上総(かずさ、今の千葉県)へ船出。 だが海は荒れ狂い、あわや船は転覆? 橋嬢命は海の神の荒ぶる心を鎮めるべく 海上に菅(すげ)、皮、などを八重(やえ)に敷き、その上に身を置き入水。 海はなぎ、波は静まり、武尊は無事に上総へ。 走水神社におじゃまして神職、山地厳さんにお話をうかがった。 「日本武尊が、ご出発の際に村人たちに与えた冠を、石櫃(びつ)に納めて地 中に埋め、その上に社を設けたのが当神社です。 郷社から県社へ昇格するときに、終戦でした。 また、弟橘神社として祭られていましたが明治十八年、御所ヶ崎が陸軍用地 となったため境内へ移転、四十三年に走水神社に合祀(ごうし)されました。 近ごろは、おおくの方がおみえ下さり、喜んでいます」
原本記載写真
走水神社である。弟橘媛命(おとたちぱなひめのみこと)の歌碑は、 明治42年(1909)10月建立。東郷平八郎海軍大将(右から5番目)、乃木希典(まれすけ)陸軍大将 (左から 4番目)も参列された

寄稿・補稿欄
皆様からの関連する記事・写真などの寄稿をお待ちいたしております。

参考文献・資料/リンク
横須賀市市立図書館
皆様からの声
ご意見、ご感想 お寄せ頂ければ幸いです。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい


ご氏名 ペンネーム ハンドルネームなどは本文中にご記入下さい。 尚、本欄は掲示板ではございませんので即時自動的にページへ
反映される訳ではありませんのでご承知おき下さい。

メール:(携帯メールも可)