石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


瘡守稲荷  『庶民の心に生きる』
原文

国鉄衣笠駅前を池上方面へ。三浦高校前の住宅が続く奥の平作五丁目に瘡守 (かさもり)稲荷がある。昔から「瘡守さん」と親しまれ、傷や商売などにご利益がある、といわれる。 開山は古く、天文二十一年(1552)。創設当時は小さなお堂だったが、十一代目の日意という人が建立した、という。  寛政のころ、浦賀に岩男波(いわおなみ)磯吉という力士がいた。ここー番という大勝員を前に、 折あしく彼は、皮膚病に苦しめられていた。勝負よりも健康が第一、一心不乱に稲荷に願をかけた。 三、七、二十一日の祈願も終わる満願の日、不思議にも全快、しかもここー番 にも勝つた。感激した岩男波は、この心願成就のありがたさに足どりも軽く、 京に上り伏見稲荷に参拝。正一位を拝して戻り早速、社殿を造った。以来、瘡守稲荷には、遠近から老若男女の信者が日増 しにふえていったそうだ。 横須賀が、かつて海軍の町であったためか、信者も、今は各地に広がっている、という。 「昭和の初めころまでは露店がたくさん並び、それはにぎわったものですよ。時代が変わりました」とは、 近くの古老のお話。 しかし、今でもー月二十二日の初稲荷の日は、かなりの人出。ついで初午(はつうま)のニ月か。 そのあたり、まだまだ庶民の心に生き抜く瘡守稲荷である、としみじみ感じた。 戦前、近くの三浦高校の前身、三浦中学校の応援歌に、次のようなー節があった。 「瘡守さんに願かけて
おみくじ引いて
おがんだら
今年もわれらが
力ツチ、力ツチ
力ツチ、力ツチ」

原本記載写真
衣笠山から大楠山にかけての山ふところである。横須賀市平作5丁目の瘡守(かさもり)稲荷は、 昔から「瘡守さん」と親しまれた。浦賀出身の力士、岩男波(いわおなみ)の話しが楽しい。 写真は、今も参詣の人が絶えない瘡守稲荷

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