石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


衣笠公園 『全山に桜とツツジ』
原文

小矢部の里の
うす霞(がすみ)
花を訪ねて 衣笠に
山を埋(うず)むる
にぎはひに
桜うらうら 春のどか

紅葉(もみじ)
いるどる 峰、谷の
眺(なが)めも
殊(こと)に美しく
黄金(こがね)の波に
雀(すずめ)とぶ
平作(ひらさく)
耕地 秋 探し

これは、戦前の小学生用郷土読本、「我等の横須賀」(昭和十六年刊)にある詩の 一部。もちろん、衣笠公園を詠んだものである。 この公園は、按針塚の塚山公園とともに市制施行の明治四十年(1907)に開園された。 衣笠公園は、小矢部(こやべ)町の鞍掛(くらかけ)山のー部で、通称、衣笠山の山頂。 三浦一族の衣笠城祉(し)とは谷ひとつ隔てた所。 三浦半島一帯の有志による日露戦争の戦勝記念事業として、誕生した。 頂上に三浦半島出身戦没者の「芳名不朽」と刻まれた忠霊塔が建設され、 全山に桜を数百株、さらにツツジを植樹。 塔の除幕式を兼ね、同年四月十八日に開園式が行われた。 その後、公園は三浦郡の奨兵義会と横須賀市の報国義会(ともにのちの在郷軍人会のようなもの)の共有であったが、 大正七年(一九一八)十二月の市議会で、横須賀市と三浦郡の共同経営に。 そして昭和八年三月、衣笠村が横須賀市に合併されると、市営公園になった。 戦後、忠霊塔は撤去。今は、海抜百二、三十bの頂上近くに衣笠神社、三浦郡長小川茂周(しげちか)や 東京湾上の海堡(ほ)建設の功労者西田明則(あきのり)の碑がある。 また施設では、市営衣笠青少年キャンプ場や、県立臨海青年の家付属衣笠ホームなども。 公園への道は、横須賀・三崎間の京急バスで「衣笠公園」下車が便利、である。
原本記載写真
衣笠村には29の神社があった、という。 写真は、衣笠神社。大正2年(1913)、一村一社の行政指導で誕生した。 その後、大矢部、阿部倉、平作、池上の各大字(あざ)にも神社が誕生した

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参考文献・資料/リンク
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