石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


池田屋 @ 『ハワイへ販路拡張』
原文

明治、大正のころ。今の市内馬堀町二丁目の旧道沿いに、池田屋という、 しょうゆ作りの店があった。大豆を煮るにおいや、樽(たる)にもろみを詰める音が絶えなかった、という。 この池田屋の主人が、大津館を開業した石渡真三郎。 その長男が秀吉。父親に まさる、その生涯の語り草を。 秀吉は、明治三年(一八七〇)生まれ。大津小学校卒業後は東京で遊学。 民友社刊行の本はー冊残らず買い求め、徳富蘇峰(そほう)や蘆花(ろか)に私淑した。 ニ十五年には、しょうゆの輸出の路(みち)を切り開くために単身、ハワイへ渡る。 池田屋若旦那(だんな)の洋行ということで、地元の大津の人たちは横浜港まで見送りに行った。 送りに行かなかった人たちは、大津の海岸で、沖を通る船に日の丸の旗を振ったそうだ。 秀吉は、しょうゆの販路拡張に努めるー方、「ハワイ・タイムス」と称するハワイ島最初の日本字新聞を発行した。 池田屋から休みなく、しょうゆ樽が送られたが、秀吉からは利益はおろか、材料費さえも送ってこなかった。 そこで、両親は「早く帰国するように」と手紙を送ったが梨(なし)のつぶて。 ある時は、ハワイに寄港する軍艦「浪速(なにわ)」の艦長、東郷平八郎にたのんで帰国をすすめてもらった、とか。 こうして滞在二年で、明治二十七年に帰国。家業に専念しながら地域活動に尽力し、 三十九年から大正十一年(一九二二)まで浦賀町会議員を務め、その間、衆議院議員にも当選。 十二年から昭和六年まで浦賀町長に。 また、県営水道期成同盟会副会長として総裁の金子堅太郎を助け、三浦都連合青年団長や、三浦半島観光協会長も務めた。 昭和八年七月、秀吉は六十三歳で没した。 翌九年六月には、石渡一族百三十六人による敬悌(けいてい)会は「石渡秀吉翁追悼号」を刊行した。 一読して、人と人との触れ合いの確かさを、かいま見た。
原本記載写真
しょうゆの販路拡張のため、単身ハワイへ渡った石渡秀吉は、初の邦人新聞である「ハワイ・タイムス」を発行した。 写共は、秀吉(円内)とその一族136人による敬悌(けいてい)会の追悼号

池田屋 A 『皆のために尽くす』
原文

池田屋の石渡一族による敬悌(けいてい)会がまとめたのが「石渡秀吉翁追悼号」(昭和九年刊)。 その中から、秀吉の末娘にあたり今、馬堀町二丁目にお住まいの根岸鈴子さんの文を、紹介させていただく。  「家のお父さんは良い方ですが、お酒を飲むと目を三角にして怒(おこ)ります」。 まだ小学校の三年生でした。「お父さん」という題の作文で、このような事を私は書きました。 その作文を返して戴(いただ)いた時、お母さんにお見せしたのです。 その晩も、お父さんはかなりお酒に酔って帰っていらっしゃいました。 もう私は隣の部屋に寝ていたのですが、お父さんのガンガン怒嶋(どな)る声に目が覚めました。 「目を三角にしてだってえ。何だ、一体、子供が親をそんな風(ふう)に言うのが良い事なのか。鈴子は何処(どこ)にいる」。 すっかり怒っていらっしゃいます。さては、今日の作文をお父さんにお見せしたんだなと思いましたが、恐ろしいので 出る勇気は更になく、ただ床の中で寝振りをしておりました。 翌日、お母さんから、お父さんはお酒ばかり飲んでいらっしゃる方ではなく、 自分の事を棄てても皆のため、町のためにお尽くしになる。 たとえお父さんがお酒をお飲みにならず、家にいらっしゃる時は、もっとやさしい方であっても、 よその方に対して嘘(うそ)をついたり、人をだましたり不義理な事をする方であったなら、少しも嬉(うれ)しくはない。 お父さんは、お酔いになる事などに代えられない大きな良いものを持っていらっしゃる。 そういう事をお聞きして、あんな事ばかり作文に書いてしまって、なぜ本当のお父さんを書かなかったのだろうと思うと、 すまなくて、又、作文を書き直して先生にお出しにいたしました。 今になって、余計はっきりとお母さんのおっしゃった事がわかった気がいたします。 今の世に、そういう人が幾人あるか?考えてみた時、お父さんは私たちのものというばかりでなく、 町の、村の、大勢の人のものであったと、つくづく思うのでございます」
原本記載写真
風光明婿(ぴ)な大津海岸は、かつては市内屈指の避暑地だった。だが、昭和5年に今の京浜急行が開通すると、 しだいに住宅地に変わっていった。写真は、京浜大津駅前。 戦前は水着姿の家族連れや、若者でにぎわった

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