「形が烏帽子(えぼし)に似ていましたので、昔から烏帽子岩と呼ばれておりました。
大正の中ごろまで砂浜だった迫浜から見ると、夏鳥とともに、それは美しい景色でした」
と地元の古老は、なつかしむ。
この烏帽子岩は烏帽子島ともいわれ、迫浜の砂浜から約百五十bの場所にあった高さ十五b、周囲二百bの島。
海を隔てて夏鳥と対していた。
江戸時代には旅人や近郷の人たちは、この岩と夏鳥の間を舟で行き来した。
風光明婿(び)な自然景観は、一幅の絵のようであった、という。
大正七年(1918)に海軍航空隊が飛行場を造成するために、島は切り崩され姿を消したが、跡には、昭和二年に記念碑が建てられた。
しかし、この碑が、五十六年に移転された。
日産自動車KKが付近一帯の約二十七万平方bを、自動車積み出し港などの用地として埋め立てたためである。
碑が移された場所の東南、日産自動車迫浜工場のご好意により、第三地区の一角。夏島町二番九の同工場構内で、その敷地は六・八平方b。
元の場所から百五十b南西の位置。
道路に面しているので、すぐわかる。
「烏帽子巌(いわ)と彫られた石碑を、そのまま移し、玉石を敷いた。
台座は、みかげ自然石。
回りには、ツバキやツゲを植え、碑のいわれや移設の理由が書かれた鉄製のプレートがある。
なにはともあれ、このようにして碑が永久に保存されることになった。
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