横須賀市最古の公園は浦賀園である。
明治二十四年(1891)六月の開園といわれる。
西浦賀町一丁目の愛宕(あたご)山の頂上で、バス停は浦賀〜久里浜間の「紺屋町」が近い。
愛宕山への登り口は、海寄りの石段が男坂ならば、常福寺わきの山道は女坂といえる。
ここには碑が四つある。
開園当初からの中島三郎助 (永胤)の招魂碑がニつ、それに日清・日露戦争戦没者の忠魂碑と、咸臨丸出港の碑である。
中島の碑のひとつは高さ四・五bで、時の外務大臣、榎本武揚(たけあき)の文。
もうひとつは、高さー・八b。自然保護に対する明治人の意気込みが感じられるので、碑文を紹介しよう。
「 永くこの御魂のなぐさめぐさとて、この岡の景色すぐれたる所をうはらかやはらかりそりて、
つちをならし石をすえ花の木、常盤(ときわ)木あまた植え、またここへ拝(もう)でくる人々のため、
北より東より南より西より、たよりよさかたをとめて、いく筋も道をつくりて、
港の景色をはじめ安房(あわ)上総(かずさ)の海山とおく近く見渡さるあたり、ここかしこに東屋(あずまや)などをもうけ、
この里にかかる景色あることを、なべての人知らしめ、かつは里人のあそび所もとてかくはなしつるなりけり。
なお今よりのち、この岡近き景あるかぎりは、ひらきそへなむことを願ふ」
咸臨丸出港の碑は、昭和三十五年七月の建立。書は、時の外務大臣、藤山愛一郎による。
碑の裏面には、咸臨丸乗組員の勝海舟ら九十六人の名も。
|