終戦直後のこと 横須賀に進駐した米海軍将兵の中に、本国で「日本民族の起源」
を学んだハーバード大学出身者を中心とした、若い士官たちがいた。
彼らは、休暇の日に必ず明治大学で日本史の講義を受けた。
その最終日、「お礼のかわりに、われわれで何かできることがあつたら」と教授に申し出た。
「夏島に貝塚があると聞いている。調査の機会を得たい」という大学側の願いが、
彼らの世話でかなえられた。こうして、夏島貝塚は明治大学によつて昭和二十五年(1950)と
同三十年のニ回、調査された。
夏島の地層は上、中、下と三つの層に大別される。
下層は、泥岩と砂岩が交互にみられる野島層で、厚さは約二十b。
中層は、富士・箱根の火山灰による厚さ数bの関東ローム層。
そして上層が貝塚を含む層だが、狭い範囲で上下三層の貝層を含め、合わせて六つの「文化層」が
重複しており、一番下の第一貝層から早期の縄文式土器を発掘した。
それまで日本最古の土器の年代は約五千年前といわれていた。しかし、同時に
発掘された力キの貝穀などを、米国ミシガン大学の「放射性炭素14」で年代測定したところ、
約九千五百年前と出た。
この年代測定は「物質のもつ放射性炭素は約五千七百六十年で半減する」という学説によるものである。
ーこの「夏島式土器」の発見で、教科書はもちろん学説が、今までの「土器は西アジアに起こり農耕文化とともに世界
各地へ」から「わが国を含む東アジアの旧石器時代人が自力で発明」と、書き換えられた。
この夏島貝塚を含む約四万九千平方bが昭和四十八年、国の史跡に指定された。
貝塚保存のために今、頂上へ登ることができない。
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