石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


湘南馬車  『明治32年に4台で』
原文

「三浦郡長井村勢一斑」(大正十二年刊)によると、当時の長井村(今の横須賀市長井)には、 動力を持つ舟が十六隻、動力のない船、つまり、手でこぐ舟が四百十隻、あわせて四百二十六隻もあった。 村の戸数はハ百六十戸。二軒にー隻の割りで、明治のころも似たようなものだつた、とか。 もちろん、これらの舟は魚を取るのが目的だが、手でこぐ小さな舟でも、村の人々にとっては大切な交通の手だて。 とはいえ、陸上の交通の開発こそ、地域の発展となるという機運は、早くからあった。  明治三十二年(1899)に嘉山六郎左衛門(元治郎)と原田耕作が、今の上町までの乗合馬車を開業した。 湘南馬車会社の誕生である。当時の馬車は六人乗りで四台。 コースは、鈴木屋料理店前から武山を経て、武の東漸寺(とうぜんじ)、幸富店(こうふみせ)へ。 そこから、今の金子トンネルがあるニつの山を越え、井戸店から法塔を通り、上町の池の端まで。 ちょうど当時の郡役所があった所が終点。 料金は、二十銭から次第に値上がりして、大正七年には四十銭、雨天はニ割増しとなった。 馬車の立場(たてば)は、今の大木根の嘉山商店の所で、この馬車は「トテ馬車」と呼ばれ、親しまれた。 長井〜三崎間に乗合馬車が開通したのは明治四十二年(1909)のことであった。  嘉山は、大正七年(1918)ころ長井自動車合資会社を設立、横須賀駅まで乗合バスの営業を始め、 地域の発展に大きな足跡を残した。
原本記載写真
長井町と横須賀の上町とを結ぶ乗合馬車は、明治32年(1899)に始まった。 唯一の交通機関で重宝がられたが、雨天は料金が2割増しだったとか。 写真は、かつて馬車が苦労して山越えした所にできた金子トンネル。 今では気軽に自動車が通り抜ける

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