石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


吉倉トンネル  『道閉ざす海軍用地』
原文

横須賀駅裏に近い逸見の汀(なぎさ)橋から、国道16号を追浜方面へ向かうと、 トンネルが二つ。その中間に、「吉倉道碑」がある。 大正三年(1914)五月の建立で、文は東京斯(し)文学会の大野太衛である。 碑文によると ー 昔は、横須賀から金沢方面へは、海路をとることが多かったが、海軍用地の拡大 によって船の発着場所が変わり、十三峠の山道か、山越えして吉倉から船で行く 以外なくなってしまった。 しかし、逸見から吉倉へ行くには「七曲がり」といわれる、けわしい坂道を越さねばならない。 生い茂る草木で、昼なお暗く、昼間でも、追いはぎの出る恐れがあった、という。 ー 逸見と吉倉とが、同じ平面で結ばれたら、という地域の人たちの願いがかなった。 吉倉トンネルの誕生である。 発起人は逸見村の鈴木福松、鈴木惣右衛門、石川儀平、鈴木藤吉の四人で、同志十八人とともに私財を投じた。 工事は明治二十三年(1890)三月に始まり、翌年四月に完成した。当時のトンネルは、素掘りの小さなものだった。 その他、明治・大正時代に造られたトンネルは走水(明治十六年)、深浦の筒井 (三十八年)、深浦(四十四年)、 衣笠下り、金子上り(大正三年)、沢山(六年)、坂本(十年)、船越下り(十二年)、浦郷(十四年)、田浦下り、千駄(十五年)の 十一に及ぶ。 市内では今、道路用のトンネルは五十六に達し、県内八十一の過半数を占める。 ほかに鉄道用のトンネルが国鉄にハ、京浜急行に十四。合せる台わせると七十八にもなる。
原本記載写真
もう山越えしなくてすむ。明治24年(1891)4 月に完成したのが、吉倉トンネル。 今は新逸見トンネルと呼ぶ。写真は、国鉄横須賀駅側の出入り口に建つ碑。 発起人は、逸見村の鈴木福松ら4人とある

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