人力車は筑前(福岡県)の出身、和泉(いずみ)要助が東京で考案、明治三年(1870)三月に完成させた、という。
和泉は、知人の高山幸助と鈴木徳次郎の三人の名義で、当時の東京府へ願い出て実用に踏み切った。
横須賀市史(昭和三十二年刊)によると、三年後には「横須賀では人力車夫はー人」とある。
九年、近隣の村では、計七十四台にも達した。内訳はー人乗りが六十台、二人乗りは十台、三人乗り四台。
村別にみると公郷村一台、深田村二台、中里村と大津村六台ずつだが、浦賀村は五十九台と群を抜いて多い。
普及につれて車体の故良も進んだ。油紙の屋根が布製へ、車体は蒔(まき)絵の黒漆塗りに、
また車輪は鉄製からゴム製に。車夫は農家の兼業から専業となり、たまり場もできた。
「横須賀案内記」(大正四年刊)によると、大正の初めごろの人力車は、市内で三百六十二台。
当時の車賃は。
横須賀駅始発の場台、行き先と料金は、次の通り。
海兵団(今の駅裏)=五銭。軍港南門(旧EMクラブ前)、逸見の鹿島神社=各七銭。
吉倉=八銭。十三峠下、鎮守府、市役所(今のヨゼフ病院付近)=各十銭。
坂本坂下、長源寺、汐入牛殺し谷戸(やと)、大滝=各十三銭。
海軍病院(今の文化会館の所)=十八銭。 田戸馬車駐車場=二十二銭。
柏木田大門=二十三銭。大津勝男館=三十銭。衣笠公園、浦賀芝生(しぼう)橋=各三十五銭。
満昌寺=五十銭。観音崎=五十五銭。ペリー記念碑=六十五銭。武山村役場=七十銭。
長井村役場=九十銭。三崎警察分署=一円五十銭など。
待ち時間はー時間で十銭。往復はー割引、夜間はー割増し、雨などで道が悪い時は三割増し、となっていた。
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