石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


@ 昭和15年が節目に
原文

昭和十五年は「ふるさと横須賀」にとっても一つの節目だった、と思われる。  四月=米、みそ、醤油(しょうゆ)、塩、マッチ、木炭、砂糖など十品目の販売が切符制となる。 五月=横須賀海軍工廠(しょう)内に6号ドックが完成(能力八万d)、航空母艦「信濃」の建造が極秘のうちに始まる。 六月=市役所に生活必需品の配給事務を扱う経済課が設けられる。 七月=暴利行為取締規則の改正で公定価格などが表示、また横須賀質屋業組合がぜいたく品販売禁止令で該当品の「質取りお断り」の掲示も。 八月=食堂や料理屋で米食禁止、臨時米穀配給統制規則の公布。 十月=たばこの値上げ。大衆的な「ゴールデンバット」が「金鵄(し)」と改められ十銭から十五銭、「光」が十八銭から三十銭、また「チェリー」が「桜」に。  この年、文部省が、ドレミの階名唱法をハニホヘトに変えた。大政翼賛会の発足、物価統制令の公布などもみられた。 国際的には、六月=ドイツ軍がパリを占領、フランスが降伏。九月=日伊独三国同盟の調印。十二月=ルーズベルト大統領が「アメリカは自由陣営の兵器廠となるであろう」と語った、という。  この昭和十五年は、神武天皇の即位以来、二千六百年目とされた。「紀元二千六百年」の年だった。声高らかに歌われた祝歌は−。  金鵄(し)輝く 日本の 栄えある光身にうけて いまこそ祝え この朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ一億の 胸は鳴る。  ついでながら当時、人々の間でこっそりと歌われた替え歌は−。「金鵄あがって十五銭 栄えある光 三十銭 いよいよあがる このたばこ 紀元は二千六百年 ああ一億の 民は泣く」。これは、替え歌中の傑作である、といわれる。
 
原本記載写真
昭和15年は、紀元2600年といわれた年。国を挙げての祝賀行事が続いた。 だが、実は−つの節目の年だった。写真は、「紀元二千六百年」と筆を執る兄と見守る妹たち=横須賀市山中104 鈴木千代子さん提供

A 祝賀行事目白押し
原文

昭和十五年。人心の一新を求めて祝賀行事がくりひろげられた。 この年の十月十一日、天皇をお迎えして横浜港の沖で特別観艦式が行われ、艦艇百余隻、飛行機五百余機が参加、帝国海軍の偉容を内外に披露した。 次いで、十一月十日には、皇居前広場で紀元二千六百年奉祝式。翌十一日、横須賀市主催の式典と市内祝賀行進も。  町内会によっては、記念事業として国旗掲揚塔を建て、市内各学校でも、さまざまな行事を…。市立横須賀高等学校の前身、市立高等女学校の場合は「創立二 十五年史」(昭和二十七年刊)に、こうある。  「六月十九日 秩父宮殿下の二千六百年紀元節に賜りたる勅語奉読のラジオ放送を拝聴。十月十二日 二千六百年海軍特別観艦式に閲し講話あり。 二十日 奉祝体育大会開催。十一月十日 奉祝式挙行。十一日 市主催奉祝式に参列」  スポーツ関係の記念行事にふれてみよう。まず、二月十一日に市内神社参拝駅伝大会。出征軍人の武運長久も祈願、聖火は走水神社から運び、若松町の諏訪神社をスタート。 鹿島神社(逸見)、雷神社(追浜)、船越神社、子(ね)ノ神社(汐人)、八幡社(佐野)、諏訪神社(大津)、春日神社(堀ノ内)を一巡した。 三月には、関東七県などの奉祝柔道大会。地元の横須賀チームも参加、優勝した。その時のメンバーは、渡辺利一郎、工藤喜兵蔵、石渡多喜蔵、白土文男、小西慶三郎 の各五段。東日本では、かつてみられない大会だった、という語り草も。  五月には、中等学校の三浦半島一周駅伝競走大会。十二チームが参加、コースは逗子駅−久留和(くるわ)−長井−引橋−津久井−浦賀−市役所。 そのほかでは、学童相撲の県大会が市立鶴久保尋常小学校、市大会が海兵団や重砲兵連隊で。 また、各種目にわたっての奉祝市民体育大会も・・。
 
原本記載写真
昭和15年10月11日に横浜港沖で特別観艦式が行われ、帝国海軍の偉容を内外に示したという。 奇しくも太平洋戦争開戦の1年前である。写真は、全乗組員が甲板上に集合した戦艦「日向(ひゆうが)」。こういう写真は珍しい

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