昭和十五年十一月二十三日、紀元二千六百年の奉祝市民強歩大会が開かれた。
参加者は老若男女、約八千人、とか。横須賀市立高等女学校「嫩葉(ふたば)第三号」(昭和十六年刊)から三年生、藤田里子さんの「市民強歩大会に参加」の作
文を紹介させていただく。
「午前八時半出発。太鼓の音と共に…。『ウワァッー』という喊声。皆一斉に足取りも軽く歩き出す。本校生は五百人に近い参加者があるのだが、
こうなると何處(どこ)にゐるのか余り目立たない。…
小学生などには負けまいと、ピッチを上げた。通りの家の前には私達を見る人で一ばいである。なんだか二十粁では、小学生とも一諸なので恥しい気さへする。
この意義ある年に奉祝の意味で、市が主催したこの会の、三十粁へは学友が三百人近くも参加した。然し自分は今度がテストなので二十粁にしたのだ。
やがて法塔十字路辺へ来ると、前に四年生が歩いて行く。(中略)
五郎橋を左に折れ、平作川に沿うてゐるので、光が反射して、とても顔が暑い。
汗が出てくる。おまけに砂利敷きなので大変歩きにくい。…向ふの方を見ると、第一関門の開国橋らしいのが見えて来た。
先着者が判を捺してもらってゐるのが見えた。ああやっぱりそうだ。(中略)
久里浜の海岸へ出ると、すうっと涼しい風が頬にあたって、とても気持ちよかった。…やっと第二関門に来た。
素早く札を出して判を捺してもらう。やがて浦賀駅を過ぎた。(中略) 駆けたり、歩いたり…第三関門が間近に迫ってゐた。
ハンカチで汗を拭ひ、やっと判を捺して戴いた。
…いよいよ決勝点近くになった。ああやっと五里の道を、今歩き通す事ができる。ぐうっと目頭が熱くなってきた。
市役所に揚げられた『奉祝紀元二千六百年』の長旗が、そのぼうっとした視覚の中に鮮やかに浮かんだ」。
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