昭和八年二月二十二日。当時の三浦郡久里浜村の久里浜尋常高等小学校高等科、
六十数人の子供たちが、平作川の改修工事に参加した。これは「尊い労働体験である」として、ラジオ放送や、新聞で報道された。以下は、新聞二紙を飾った見出しと本文。
「久里浜の児童が 土方をして賃働き国防費や旅行費を稼ぐ」
「▽…ペルリ上陸の史蹟で有名な久里浜小学校高等科生徒六十余名は目下、改修工事中の平作川で元気よく土方仕事に出て賃働きをしている。
体操や農業の時間を選んで、せっせと土運びをする、坪三十銭の労賃で、このお金は非常時国防費とか修労旅行費にあてるとの事だ。
▽…将来の日本をかつぎ起つ第二国民が労働の体験、自力更生、非常時局に難行苦行するといふ幾多の精神発育の実現として面白い企てなので、
横須賀市若松町川崎写真堂よりAKに報告し、AKでは廿四日夜『子供の新聞』で全国に放送した」。
別の新聞では、こう紙面を飾っている。
「額に汗して稼ぐ 修学旅行費 久里浜小学校児童の労働」 「久里浜村と横須賀市を結ぶ平作川改修工事は、いま失業救済事業として毎日
沢山の人々が改修に従事してゐる。そのうちで特に人目を惹(ひ)いてゐるのは五、六十人の可憐(かれん)な児童が尻からげ足袋はだしとなって、
大人と同じ様にバイスケを肩にスコップを振りながら汗みどろで働いてゐる光景である。これは農林自力更生の第一歩として労働実践に乗出した黒船で名高い久里浜小学校
高等科児童の勇姿であるが、この児童等は毎年二月行はれる帝都見学の旅行費を自分等の汗で稼ぎ出さうとしてゐる尊い労働の体験なのである。
(中略)賃銀はすでに二日間働いて十六円を得たが、児童達は金銭の有難さと労働の尊さを今更しみじみ味わってゐる」
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