箱根の山ふところ須雲川の渓流近くに、
戦前、県下中等学校生徒を対象とした県の施設「報国寮」があった。ここは、勤労作業をとおしての心身鍛錬の場だった。
参加したのは上級生で、学校単位または各校代表による混成組。一週間、軍隊生活に劣らぬ質実剛健、規律節制を重んじた生活を体験した、という。
「報国寮」による「寮生感想集」(昭和十四年度)によると、三十六校が順次、入所した。今でいう横須賀三浦学区では、次の皆さんの文が載っている。
▼県立横須賀中学校=渡辺栄、足立晏敏、綾部義三郎、高木栄一、中林正四郎、阿知波紀元▼逗子開成中学校=近藤糺、知久秀穂、熊谷菊太郎、乗竹二郎
、美才治義雄、竹内岩男▼三浦中学校=白川忠雄、田辺操、小林晁、市川孝三、根岸八郎▼横須賀市立工業学校=鈴木正男、神谷誠、鈴木正男、島田泰輝、
鈴木義明、鳴海達▼横須賀商業学校=横井寿雄、米山繁男、君島竹夫、富沢市之助、添田清、丸林謹、飯島侑。
その中から、二人の感想文を載せさせていただく。
「…いざ帰るとなると寮が懐しくなって、もう二、三日入寮してゐたいなどと云ふ感じが起ってきた。それから我等が山上まで運搬した砂、砂利(じゃり)に
は自分等の汗と魂が寵(こも) ってゐるのであると思ふと、あの苦行も反って楽しい思ひ出となる。あの小さな砂や砂利が堰堤(せきてい)の大きな石の後方に
堆(うずたか)く積れて、それから始めてがっしりした堰堤が出来るのかと思ふと『小我を捨てて大我に就く』といふ感じが起った。…」
「私達は御飯を何の感もなく食して居たが『食事訓』を云ってから、特に天地の恵や人の労苦、又父母の恩を感じた。勤労奉仕という事を念頭に置いて来たのだ
が、来てみるとそれは末葉のことで、其(それ)は精神修養にあることが解せされ、大いに一週間を有意義に送った。」
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