戦前の横須賀市久里浜にただ一軒の本屋、大山堂書店が、今の久里浜四丁目十五番地付近にあった。
「浦賀の風船屋書店が母方の親類で、久里浜に支店がありました。そこで留守番をしていた母が『店番だけではどうも
・・・』という訳で、自分の名義で店を始めたのです。
昭和九年、私が中学二年の時でした」とは、市内舟倉にお住まいの阿部むねさん(六五)の話。父親の弁蔵さ
んは当時、浦賀ドック務め。店は姉二人が手伝い、むねさんが学校から帰宅後、配達や注文取りを。
開業に当たっては、両隣の同業者、といっても、浦賀の信濃屋書店と三崎の三崎堂書店の承認を得た、という。
再び、むねさんの話。
「父が、大山の阿天利神社を信仰していたので『大山堂』と名づけたようです。
久里浜は農・漁村でしたから、売れるのは月刊雑誌がおも。昭和十四年に海軍通信学校ができてから、売れ始めました。
今の本町にあった軍港堂書店の松浦さんから『海軍が来たのだから売ったらどうか』と『海軍読本』などの販売を勧められ、
ちょいちょい自転車で取りに行きました」 「私が中学四、五年生のころ国語の先生が『岩波文庫を読むといい』といわれた
ので、店に文庫本を全部そろえました。
あの星一つが二十銭の時でしたか。海軍の人たちは、むさぼるように読んでいましたね」。
ここで、昭和十九年から店頭に立つようになった奥さんの周美枝(すみえ)さん(六一)にうかがった。
「当時のことですから、単行本は講談本がよく出ました。それに久里浜には別荘がありましたから、
夏になると内容の固い本が売れました。海軍さんは、外出時間に一度に買いにこられたので、本代を
受け取って箱にしまう暇もないほどでした。お店は、二十三年にやめました」。
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