六百七十年ほど昔の話だ、という。鎌倉幕府の執権、北条高時のころ、
乱波風麻呂という盗賊が子分どもを連れて、三浦半島各地の神社仏閣に火を付けたり、
民家に押し入っては家財を奪ったりした。
そのころ三浦郡林村、今の横須賀市林に立派な構えの家があった。とある夜、
盗賊どもが屋敷内の様子をのぞいていたところ、中から女中たちが口をそろえて
「おのおの方、皆様が今晩おいでなさることを存じておりました。御膳(ぜん)の仕度もできています。
さあどうぞ奥へお通り下さい」と。
盗賊どもは「お待ちなさるような者ではござらぬ。人違いでしょう、まっぴらご免下さい」と逃げ出そうとした。
女中たちは「とんでもない。皆様がおいでになることは、かねてから家の主人の言い付けで…」と引き止めた。
誘いに甘えて腰を下ろした盗賊どもは、遠慮なく酒は飲むわ、ごちそうを口にするわ…。
やがて、から紙があくと御内室らしい美人が内掛け姿で現れた。
「お帰りには重くてご迷惑かと存じますが、これをおみやげにお持ち帰り下さい」といい、ふすまを押し開けると、
なんと千両箱が山と積まれてある。盗賊どもはびっくり、首を締めて三拝した。
御内室は話した。「初めから盗賊として生まれる人はいません。ごらんの通り私の家は、三浦でも二つと下らない家です。
持てるだけ持ってお帰り下さい」。欲に目はない。「では」とばかりに千両箱を抱え「残りは明晩にも」と言い残して立ち去
った。その時、盗賊退治の役人たちがやって来た。盗賊どもは大あわて、逃げようとして坂道からころげ落ち、大池に落
ちて死んでしまった。
翌朝、草刈りに行く子供たちが大きな石を背に結び付けて死んでいた六、七人の盗賊を見つけた。
これは、狐(キツネ)の仕業。悪党どもを化かして里人たちを安心させたのだ、とさ。
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