横須賀市小矢部。衣笠公園の中段広場に「忠犬タマ公」の碑が立つ。
碑の高さは約二b、書は、第十三代の横須賀市長だった小泉又次郎による。
雪崩で遭難した主人を二度も救い出した新潟県の「忠犬タマ公」は、地元では
国鉄渋谷駅前の「忠犬ハチ公」に劣らぬほど有名だ、という。
「新潟県=ふるさと百話」(昭和五十九年刊)をひもとく。
「…タマは、新潟県中蒲原郡川内村(今の村松町)字(あざ)中川原の刈田吉太郎さん方の猟犬、
シバ犬のメスだった。
昭和九年二月五月、タマが六歳のとき吉太郎さんは仲間一人と狩猟中、雪崩にの
みこまれた。タマは両足を血まみれにして、雪を掘り続けた。仲間は助からなかったが、
吉太郎さんは九死に一生を得た。二度目は、二年後の十一年一月十日。吉太郎さんら四人が、
同村小面(こずら)谷で雪崩に遭ったが、タマの活躍で全員無事だった」
この美談は、当時のラジオや新聞で大きく報道された。地元の川内小学校や白山公園には「忠犬タマ公」の銅像が建て
られた、という。小学校の場合、戦時中は校内に隠され、鋼の強制供出の難から逃れることのできた「タマ公」は、
昭和三十七年に再建、再び子供たちのアイドルになった、とか。
新潟県の「タマ公」の碑が、なぜ横須賀市にあるのか。
時は昭和十一年九月である。海軍にゆかりのあった市内在住の新潟県出身の人たちが故郷で話題となった「タマ公」に感激。
そのうちの一人が川内村に住む飼い主、刈田さん宅を訪ねて「タマ公」の寝起きしていた所の土をもらって埋め、
碑を建てた、という。
戦後、碑は市内小矢部二丁目のある民家の敷地内にあった。碑のいわれが知られ始めると「なんとか日の目を…」とい
う声が高まり、地元の衣笠観光協会によって、現在地へ移されたのである。
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