石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

横須賀水交社 『明治9年に発会式』
原文
横須賀市稲岡町。米海軍基地内の丘の中腹に旧海軍の士官クラブ、横須賀水交社があった。 水交社とは、「水交社規則」(昭和八年改正)によると「海軍高等武官、候補生、海軍高等文官及び試補ヲ以テ組織」、 「海軍二関スル学術ノ研究ヲナシ又ハ社員相互ノ友誼(ギ)ヲ敦(アツ)フシ及ビソノ便益ヲ図ルヲ以テ目的トス」、 「海軍大臣ヲ以テ社長トス」とある。 昭和十二年度の「社員名簿」では、社長は米内(よない)光政大臣、副社長は山本五十六(いそろく)次官ら。 水交社は東京をはじめ横須賀、佐世保など九カ所、集会所は横浜、江田島など十三カ所、唯一の分社は横須賀市長浦町に。 水交社の業務のー端を東京の場合でみると、庶務、学務、物品、被服、宴会の各部があり、 庶務部では帝国興信所調査回数券の販売や結婚紹介も担当。ちなみに、信用調査は四円五十銭(普通料金十円)、 結婚調査は十円(十五円)、結婚紹介申込金は三円(五円)だった。 水交社の歴史は古い。明治九年(1876)三月、東京芝の真乗院で発会式が行われた。 水交とは「君子の交わりは淡(あわ)く水の若(ごと=如)し」。 出典は「荘子」の山木編にある「君子之交淡若水、小人之交甘醴(れい)」や「禮記」 の表記編にある「君子之接如水、小人之接如醴」。  横須賀水交社で終戦を迎えた横須賀市汐入町二丁目の中川賢さん(五四)にうかがった。 「十五歳で最年少でした。印象的なのは、将官の軍服を鎮守府に届け、じゅうたんの上を歩いたこと。 酒は計り売りでした。四斗だるにさしたゴムホースで吸って酒を流し、じょうごで受ける。 何回もやっているうちに、ほろ酔いきげんとなり、その夜、青年学校で言い訳をしたことがありました。 水交社の物資は豊富でした。終戦後はー年間、佐野町の授産所で残務整理。軍装品は復員の人たちに配りました」

原本記載写真
海軍士官の軍務を支えた横須賀水交社の軍装品部員は、終戦後の1年間、市内佐野町の授産所で残務整理に 当たった。写真は、授産所と合同の慰安旅行。片瀬海岸で(昭和21年4月)=市内汐入町2 ノ47 中川賢さん提供

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