石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

横須賀名勝詩 @ 『漢詩で名所巧みに』
原文

漢詩文集の「横須賀名勝詩」が明治四十一年(1908)九月に刊行された。 著者は東京府出身、漢詩人の須田為雄。号を楽翁といい、生没の年月は定かではない。 一時、横須賀市深田二百五十七番地に住み、市内の名所を巧みに漢詩文で表現した。 そのー部を紹介しよう。
平阪
「朝風暮雨己晴時 行客礬登厭嶮
平阪不平名反実 初知世上渾如斯」
朝風(ちょうふう)暮雨己(すで)に晴るる時 行客(こうかく)礬登(はんと)してけんきを厭(いと)ふ
平阪 平(たい)らかならずして名(な)実に反す 初めて知る世上(せじょう)渾(すべ)て斯(かく)の如きを。
聖徳寺
「海門十里幾弓々 潮満沙鴎映晩虹
雨後総房深翠色 宛然米法画図中」
海門十里幾(いく)弓々(きゅうきゅう) 潮満ち沙鴎(さおう)晩虹(ぱんこう)に映ず 雨後(うご)の総房(そ
うぼう)深翠(しんすい)の色 宛然(えんぜん)として米法画図(べいほうがず)の中(うち)。
田戸浜
「城峰影映猿候島 楠浦烟連田戸谿
遠景依稀凝望眼 海天日落白雲迷」
城峰(じょうほう)の影猿候(えんこう)の島を映す 楠浦の烟(けむり)田戸の谿(たい)に連なる
遠景依稀(いき)として凝望(ぎょうぼう)の眼(め)海に天日(てんじつ)落ち白雲(はくうん)迷ふ
    白浜
「海風吹熱透袗稀 士女相追酖戯嬉
宛似京華三伏日 四条河上納涼時」
海風吹けば熱袗(しん)を透すこと稀(まれ)なり土女(しじょ)相追(あいお)うて戯嬉(ぎき)に酖(ふけ)る
宛(えん)似たり京華(けいか)三伏(さんぶく)の日 四条(しじょう)の河上(かじょう)納涼の時
原本記載写真
明治末ごろ今の横須賀市田戸台・聖徳寺からの展望台は「海門十里幾弓々・・・」。 だが、弓なりの海岸線は、時代とともに次第に様変わりしていった。写真は、 昭和初めごろの聖徳寺坂、祭礼の仮装行列が行く

横須賀名勝詩 A 『走水など自然体で』
原文

再び、漢詩文集「横須賀名勝詩」(明治四十一年刊)から。 著者は須田為雄。
走水
「浦賀東連走水礒 追懐往事昔人非
如今海穏明於鏡 只見翩々白鳥飛」
浦賀の東走永の礒(いそ)に連なる追懐す往事昔人の非(かく)るを
如今(じょこん)海穏やかにして鏡より明なり只(ただ)見る翩々(へんぺん)として白鳥の飛ぶを。
観音崎
「百尺楼台高聳天 驚瀾噛岸繞深淵
岩燈一点光千里 照偏竜区鰐穴辺」
百尺の楼台天に高聳(こうしょう)す 驚瀾(らん)岸を噛(か)み深淵(えん)を競(めぐ)らす
岩燈のー点千里を光(てら)す 竜区鰐穴(がくけつ)の辺りを照偏す。

大明寺
「鼓殿鐘楼聳穴廖 天高月朗照僧寮
祇林風致雖皆好 吾愛中庭老鉄蕉」
鼓殿の鐘楼穴廖(けつりょう)として聳(そび)ゆ 天高く月朗らかに僧寮を
照らす 祇林(ぎりん)の風致皆好しと雖(いえど)も吾(われ)は中庭の老鉄蕉を愛す。
満昌寺
「宝刹巍然映日燻 青山縁水護孤墳
仁人有後非徒爾 香火千秋篆影香」
宝刹(さつ)巍然(ぎせん)として日に映(は)えて燻(く)る 青山緑水孤墳(こふん)を護る
仁人有後(ゆうご)徒爾(とじ)に非ず 香火千秋篆(てん)影香(かんば)し。
 「文学に現われた横須賀」(昭和五十七年刊)の編者のー人で、漢詩文にも造詣(けい)が深い、
市立横須賀高校の野口茂教頭に、お話をうかがった。
「須田為雄の漢詩は、修飾語を多用せず自然従容(じねんしょうよう)の趣を特色としています。
この漢詩文集『横須賀名勝詩』は、大沼枕山(ちんざん)の『江戸名勝詩』にならって書かれたもので、
詩四十篇を収めております」。
原本記載写真
漢詩人の須田為雄は、横須賀の名所を詩46篇に書き残した。写真は、 「浦賀の東、走水の礒(いそ)に連なる・・・」と詠まれた走水の鎮守、走水神社。弟橘姫(おとたちばなひめ) の伝説で名高い所

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参考文献・資料/リンク
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