石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

田戸の海ぬし 『一漁夫をテーマに』
原文
横須賀文化会館の裏手、中央公園に、岩野泡鳴の文学碑「田戸の海ぬし」が、昭和五十八年十一月に建てられた。 泡鳴は、明治六年(1873)に、兵庫県の淡路島で生まれた。島崎藤村、田山花袋、 徳田秋声、正宗白鳥と並ぶ、自然主義文学の五大作家のひとり、といわれる。 「田戸の海ぬし」は、田戸の海坊主と呼ばれた漁師をとりまく情景を、七七調でうたったもの。 また、冥想詩劇「海堡(ほ)技師」も発表。大正九年(一九二〇)に急逝。享年四十八歳。 では、「田戸の海ぬし」を。 一、田戸に山崎、また堀の内、走り水にも、また大津にも、春のうしほは 朝ゆふ寄せて、 けむり霞の奥より見ゆる、淡き猿島、島とは云へど、田戸のおやぢが巣にこそ似たれ。 二、おやぢ、頬赧(ほあか)のかほむき出して、鬢(びん)のほつれ毛、二すぢ三すぢ、 風にもまるる小舟の上を、あさは沖より、岸よりゆふは、かろくあま 飛ぶ小鳥の如く、しゆッしゆ 漕ぐ手の手なみも速し。 三、おやじ、その名は猪(ゐ)ノ助ぬしよ、海に生れて海をぞ恋ふる。 妻はあれども、また娘はあれど、ありしむかしの血気(わかぎ)の名残。 ゆるし得ぬ子をお濱に抱かせ、かれは寂しきおもひに浮ぶ。 四、妻のおやぢは七九(しちく)に失せて、今はその子も死ぬべき時を、 一つ軒端(のきば)におなじの住まひ、もとの仲にも返らば返れ、二十三年 共には住めど ひとりびとりのむしろを褥(しとね)。 五、上総、房州、かすみに醒(さ)めて、暁のひかりに猿島浮けば、おやぢ頬赧のかほむき出して、 またもきのふの舟唄あはれ。しゆッしゆ 漕ぐ手の手なみを見せて、田戸と島とのわたしを通ふ。 六、過ぎし時代のちょん髷(まげ)結(ゆ)ふて鬢(びん)のほつれ毛二すぢ三すぢ。 おやじもとよりその歳(とし)知らず、問へば「わが身は死ぬことなし」と。 浦の人々うやまひ懼(おそ)れ、田戸の海ぬし、こはその稱(とな)へ。 七、むすめお絹が世を知りそめて、父母の仲をば返すとすれど、母は寂しく縫ひ物つづけ、 「あれは龍宮(りゆうぐ)のいたづら小僧」、猪ノも笑(え)みつつ、かたへに立ちて、 「されば 汝(な)が父、身は海坊主」。

原本記載写真
「田戸に山崎、また堀の内、走り水にも、また大津にも・・・」と、岩野泡鳴は「田戸海ぬし」で、 田戸の海坊主と呼ばれた魚師をとりまく情景をうたった。写真は、文化会館の裏手の中央公園に建てられた文学碑 (昭和58年11月に建立)

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