横須賀市西浦賀町二丁目の愛宕(あたご)山、浦賀園に歌人、与謝野(よさの)鉄幹(本名・寛)、晶子(あきこ)
夫妻の文学碑がある。大理石で造られた碑は高さー・九b、幅一・二b、奥行き二十aで、
根府川石の台座に立つ。碑には、こう刻まれている。
黒船を怖(おそ)れし世などなきごとし 浦賀に見るはすべて黒船
寛
春寒し造船所こそ悲しけれ 浦賀の町に黒き鞘懸(さやけ)く 晶子
これは夫妻が昭和十年二月に同人たちと観音崎、浦賀、久里浜を吟行した時に詠まれたもの。
ところが、翌三月に、鉄幹は肺炎で亡くなる。そのために生涯最後の歌のーつとなつた。
以下は、晶子の「良人(おつと)の発病より臨終まで」(昭和十年)のー部。
「…大津駅で既に降つて居(い)た雨は走水神社へ詣でる人達の肩を寒く濡(ぬ)らした。
要塞(さい)地帯である観音崎の灯台の下までは自動車の入るのを許さない。
私達は吹き飛ばすような東北風に迫はれながら灯台へやっと着いた」
「良人は人よりも元気よく見えた。雨はもう止んで居たが、有る限りの七つの木の椅子を借りて灯台の下層の空に粒
(なら)んだ私達は慄(ふる)へんばかりであった」
「三時頃に観音崎を出て浦賀へ出た。その駅前で良人は『久里浜のペリルの碑を見に行かうではないか』
と云ひ出して、私達七人はー台の車を雇って行った」
碑の除幕式は、昭和五十九年十一月十二日に夫妻のご長男、光・延子夫妻を迎えて行われた。
文学碑の建立は、横須賀市による「横須賀の”地”にゆかりの深い文学者百人の碑建立事業」に基づくもの。
市内深田台、中央公園に立つ岩野泡鴫「田戸の海ぬし」に続く、いわば”文学碑第二弾”である。
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