京急津久井浜駅下車。海岸に向かつてすぐ右折、岩船地蔵尊や庚(こう)申塔が右手に並ぶ。
地蔵尊は立像と坐像の二基で、享保五年(1720)に建立、宝暦四年(1754)に再建された。
立像は高さ五十aの台上に高さ十三a、前面の幅四十六a、基礎の高さ三十五a、幅七十aある。
基礎は船形で二重艘(そう)。坐像は右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持つ。
基礎には「岩船地蔵念仏回向(えこう)仏泰勤同行六百余人 享保五庚子天 再立 宝暦四年 二月五日 津久井邑(むら)」
隣の庚申塔は五基。建立は寛政十二年(1800)、天保八年(1837)、安政七年(1860)、
明治十七年(1884)と年代不明のものなど。
手前に小さな五輪塔が傾く。
最も古い寛政の塔は高さ五十二a、前面の幅二十a、側面の幅十四a、
基礎は二十八a、十三aの大きさ、塔身の正面は日月形、雲台付きで、
「青面金剛塔」「久佐工門、作右工門、市右工門、弥五右工門、半兵衛、十右工門、十兵衛」と刻まれている。
ここで”地蔵尊考”。地蔵尊が持つ宝珠は、願うところ意のまま、いわば人々の願望を満足させてくれることを意味す
る、という。また錫杖は本来、僧侶が托鉢中に音もなく人家に立ち寄ると、家人を驚かしてしまうので、
ジャラジャラと音をさせた。もうーつは、インドでは、毒蛇などを退散させて、いらぬ殺生を犯さぬためだった、とも。
だが、そんな実用的な意味よりも大きな智慧(ちえ)を象徴していると解釈する向きもある。
地蔵尊の慈悲のーつに代受苦がある。
その人に代わって苦を受けてくれる、とか。子授け、子育て、厄除(やくよけ)、身代わり、延命、とげぬき・・・の地蔵みな
しかり。岩船地蔵は、海で働く里人の苦難を代わって受けてくれるものだったのだろうか・・。
|