三浦郡衣笠村字金谷五百九十九番地。今の横須賀市金谷一ノ五ノー三。
三浦中学校設立者、福本寿栄(ひさよし)を生んだ福本家の長屋門が残る。
一族の竹折家が経営する若葉幼稚園の園舎のー部として健在。
長屋門を前にして副園長の竹折輝隆さん(41)は、こう話される。
「三百年はたっていると思います。この門扉はケヤキの一枚板です。
私ら見慣れていますが、初めて見る方には郷愁を持たれるようです」。
門内には「福本家の当主、三郎氏の好意による。長く大切に保存する」という意味の文章が掲げられてあった。
そこで、すぐわきにお住まいの福本三郎さん(73)にうかがった。
「残っているのは、この長屋門だけ。母屋は昭和四十年に改築、そのとき『宝永六年』と大黒柱に書かれてありました。
西暦千七百九年です。江川太郎左衛門と印刷された棟札も。
古文書は『福本家文書』として、その道の先生方に調べていただきました」
「横須賀市文化財総合調査報告書=第四集、衣笠地区」(昭和五十九年刊)によると、
『福本家文書』は百四十に及ぶ、という。その内訳は、支配関係十六、村政関係十、戸口関係四、
土地関係二、年貢関係九十九、交通関係五、私文書四、
文書には「相模国三浦郡石高帳」(宝永七年)、「御触書之写」(文化二年)、
「御役人様御通行休泊御案内人足万覚帳」(文久二年)、「宮門跡方公家(くげ)衆鎌倉通り併(あわせて)助郷御印状奉行所江(え)
指上候請書之写」(天明元年)、「三浦郡神社寺院民家数古跡旧跡(写本)」(嘉永三年)、
「相模国三浦郡絵図金谷村絵図(六〇a七〇a」(慶応三年)などが、目につく。
金谷一帯は、寛文二年(1662)以後、旗本向井氏の所領。その支配ぶりが浮き彫りされる史料が「福本家文書」
である。
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