石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

横須賀市歌(昭和12年) 『市制30周年を記念』
原文
いきなり硬い話で恐縮だが。二ューヨークの株式市場が暴落、世界恐慌が始まったのは昭和四年のことだった。 翌五年にはロンドン軍縮会議で、大正十年のワシントン軍縮会議に次いで軍備が制限された。 昭和七年にわが国が満州国を承認。これが国際問題となり、翌八年に、わが国は国際連盟を脱退、 ”光栄ある孤立”の道を進んだ。世にいう「無制限建艦競争」が始まる。 一方、横須賀市は、八年に隣接の衣笠村や田浦町を合併、十年には海軍工廠(しょう)創立開港七十周年の記念式典、 十一年には本市百年の大計を目指して「横須賀市市是調査会」の発足をみた。
当時の市長は第十四代、鈴木斉治郎。
市政方針の要点は次の通り。
@教育の向上発展を図る、
A都市として開発・発展を図る、
B予防衛生を完全にする、
C水道給水地域を拡張する、
D社会事業などの万全を期する、
E産業発達の打開策を講ずる、
F財政の立て直しを図る。
 このような時世を背景に昭和十二年二月十五日、市制三十周年を記念して最初の横須賀市歌が制定された。 作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰だった。
横須賀市歌
一、旭日の輝くところ
儼(げん)たり深さ潮
艨艟(もうどう)
城とうかび
清明 富士は映れり
勢へ 我が都市 横須賀
横須賀 大を為(な)さむ

ニ、金鉄の貫くところ
鏘(しょう)たり
響け軍都
工廠 光赤く
営々 人は挙(こぞ)れり
勢へ 我が都市 横須賀
横須賀 大を為さむ

三、聖恩の普(あまね)き
ところ
儼たり見よや東亜
天業ここに高く
皇国 護り康(やす)し
勢へ 我が都市 横須賀
横須賀 大を為さむ


原本記載写真
「旭日の輝くところ・・・」と、市制30周年を記念した北原白秋の作詞による横須賀市歌がー誕生した。 昭和12年2月15日だった。写真は、市歌をレコーディングする児童合唱団と、指揮をとる作曲者山田耕筰さん

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参考文献・資料/リンク
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