石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


小川 茂周  『初代三浦郡長拝す』
原文

明治十一年(1878)初代の三浦郡長に小川茂周(しげちか)が就任した。 郡役所は、今の京急汐入駅の所であった。 小川は、名を三郎左衛門ともいい、今の横須賀市池田の出身。 嘉永元年(1848)、十二歳で大津村の名主。 ペリー来航の見聞談は、名講釈師ぶりだった。 晩年、足柄下郡の郡長となったが、明治三十五年(1902)、六十六歳で没した。 墓は大津の信誠寺にある。 伊藤博文は、彼の郡長退任のおり、次の和歌を贈った。   「濁る世を さけてすむらむ 君こそは 清き小川の流れなりせば」  お孫さんのおひとり望月照子さんが今、市内馬堀町にお住まい。 お話をうかがった。 「私は大正生まれ。父母や姉の話ですが・・・。祖父は体格がよく、温和な人だったそうです。 葉山御用邸から娘や孫にと、ハイハイ人形を頂きました。お節句の時、母が『これは御所からの』といっておりました。 祖母は会津藩の出。厳しい人でした。母が娘のころ祖父から『役所へ寄れよ』といわれ、 内証でお小遣いをくれたそうです。池田から汐留の役所まで毎日、馬で通勤した、といいます」
原本記載写真
三浦郡の初代郡長、小川茂周(しげちか)は、今の横須賀市池田にあった自宅から馬に乗って、 汐入の郡役所まで通勤した。 役所は、最初は今の京急汐入駅の所にあった。 写真は、左端が小川郡長=市内馬堀町1ノ89 望月照子さん提供

寄稿・補稿欄
皆様からの関連する記事・写真などの寄稿をお待ちいたしております。

参考文献・資料/リンク
横須賀市市立図書館
皆様からの声
ご意見、ご感想 お寄せ頂ければ幸いです。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい


ご氏名 ペンネーム ハンドルネームなどは本文中にご記入下さい。 尚、本欄は掲示板ではございませんので即時自動的にページへ
反映される訳ではありませんのでご承知おき下さい。

メール:(携帯メールも可)