昭和十六年五月二十七日の第三十六回海軍記念日を祝して、海軍協会神奈川県支部(支部長・松村光麿県知事)が
「海軍記念日」と題する論文を、広く県民から募集した。応募資格は、県民、専門学校以上の学生、
中等学校生徒、国民学校(今の小学校)児童の四つに分かれ、全体で千二百人の応募があった。
「第三十六回海軍記念日入選論文集」(昭和十六年刊)によると、横須賀市内からは、県民の部で小学校のー女教師が
三等、児童の部で市立諏訪国民学校初等科三年生のー児童が二等に入選。
以下は、その児童の入選作である。
「ぼくたちの学校は、横須賀でも、ほこりとしておる三笠軍かんの、すぐ近くにあります。
ひろいひろい海の中に、おしろのやうに、見える軍かん、時々白いかもめがとんでをります。
あの勇ましい三笠軍かんは、ろしやのばるちっくかんたいをしづめるために東郷元帥が、
おのりになって、いさましいてがらをたくさんたてられたそうです。勝か負けるかといふさかいの時に東郷元帥は、
ゼット旗をあの高い高い所にあげて、みんなをはげましたさうです。とうとうろしやをやっつけてしまひました。
五月二十七日は、そのめでたい日で海軍記念日だそうです。この話は、先生からときどきしていただきますから、
ぼくは三笠軍かんを見るたびに、日本の兵たいさんは、えらいんだなと思ひます。
いつか、ぼくが小さい時、お母さんにつれられて、三笠を見たことがあります。軍かんの中には、
てきのたまにやられた、所が沢山ありました。せんしをされた、へいたいさんのしゃしんもありました。
一ばん上にのぼると、ひろい海がよく見えました。
ぼくは毎日、三笠軍かんのそばで、べんきゃうしたり、あそんだりして居るのですから、大きくなったら、東郷元帥に、
はずかしくないように、りっぱな人と、なりたいと思ってゐます」
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