石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

常福寺庭園 『一木一草 石と調和』
原文
横須賀市西浦賀町二丁目の山すそ、静かなたたずまいである。浄土宗常福寺、その庭園は見事だ。 住職の国松俊雄さんにうかがった。「書院庭園のーつである築山泉水庭です。背後の愛宕(あたご)山の 自然を十二分に取り入れた、借景として造られました。 浦賀奉行職が宿泊するようになりました。そこで享保年間(1716〜35)、寺の壇家で回船問屋を営んでいた 宮城県の気仙沼、あそこの出身の気仙屋長七老が私財を投じて築造、整備されました」。 樹齢二百〜三百年の大ツツジをはじめ、ドウダン、ツゲなどー木一草が置かれた石と調和を保っている。 しおれ、わび、さびの美しさをかもし出す寺庭園として、高く評価されている。 時折、訪れるファンも少なくない。 引き続き、住職のお話をうかがう。「戦時中に松根油を取るために裏山の松の木が掘られ、 穴を埋めていかなかったために崩れー時、池が埋まってしまいました」。 勝海舟とのかかわりも語って下さった。「勝海舟が滞在されたのは文久二年(1862)九月でした。 徳川家茂(いえもち)公が皇女和宮ご婚約のお礼に京都へ行かれる、ということになり、ご時勢がら東海道は避け海路をとろうとしまし た。 お乗りになる予定の船の修理のために、海舟は浦賀へ来たのです。 ところが、生麦(なまむぎ)事件が起きたでしょ、イギリスの軍艦が横浜沖に集結したので出港もかなわず、 将軍の京都行きは中止になりました・・・」 「この愛宕山を陣屋山と呼んだのは、近くに代官所がありましたから。 維新後、奉行所の合原(ごうはら)、田中、土屋の面々は、海舟の肝入りで静岡へ行き、清水の次郎長の世話で、 茶の栽培や医者になりました。宇治の茶を取り寄せて、静岡の茶が始まったそうですね」。

原本記載写真
「この愛宕山を陣屋山と呼んだのは、近くに代官所がありましたから・・・」とは、 住職の国松俊雄さんのお話し。写真は、常福寺の庭園。書院庭園のーつで、築山泉水庭だといわれ、訪れる人も多い

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