石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

海軍機雷学校少年研究生 『音感教育の実験台』
原文
艦船水中音の歌
ピストンはゴットントン
発動機は ポポポポポ
ディーゼルは
ドロドロドロドロ
クイックイ ゴウゴウ
鴫るのは
潜水艦 タービン
艦船の発する音響を捕らえ、その方向や距離を計る水中測的のためには、まず適切な音感教育が必要だった。 その ”実験台”となったのが「海軍機雷学校少年研究生」。知られざる日本海軍の歴史の一面である。 「研究生」は昭和十五年四月、小学校卒業生つまり十二歳の少年十五人。そのー人が横須賀市池田町にお住まいの榊原勇さん。 横須賀市監査委員会事務局長をお務め。 「音感教育は年少者ほど効果は高い。少年水測兵制度発足のための”実験台” でした」と前置きして話される。 「研究生の募集は、軍の極秘扱いで東京と横須賀の小学生約百人が応募、合格者は東京から六人、横須賀から九人でした。 私は山崎小学校の担任から勧められました。入校してみると中学二年程度の学科のほかは、毎日二時間の音感教育の特訓です。 軍人なみの生活がニ年間続きましたが、違うのは週末に帰宅できたこと、就寝はニ段ベッドのため、ハンモックで苦労しなかったこと、 軍事教練がなかったこと、でした。終わりころには協和音、不協和音のほか、単音もピアノ全鍵(けん)について瞬間的に判別できるようになりました。 当時、海軍が私らに対する音感教育と水中測的術の研究開発にかけた期待は、大きかったようです」   昭和十七年四月、そのまま同僚とともに横須賀第二海兵団の門をくぐった、という。身体検査でひっかかったニ人を除き、 十三人が「成り行きとして海軍に入らざるを得ない空気でみなぎっていました。戦死者も出て今、十人が健在です」 と、榊原さんは話を結ばれた。温厚な表情の中に、鍛え抜かれた少年時代の面影をかいま見た。

原本記載写真
12歳の少年15人が「海軍機雷学校少年研究生」として音感教育の特訓を受けた。 その成果は、少年水測兵制度に生かされたという。写真は、後列が研究生。前列中央が校長、佐藤波蔵海軍少将

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参考文献・資料/リンク
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