石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

海軍航海学校  『教育課程は難しく』
原文
横須賀市楠ケ浦の海軍砲術学校射撃場の岩山を切り崩して、昭和九年四月に海軍航海学校が開設された。 八月に第一期普通科信号術練習生が入校した。開校までの航海術教育は、横須賀市田浦町の海軍通信学校や 水雷学校で行われていた、という。
開校後は信号術、運用術、操舵(だ)術などの教育が普通科、高等科ごとに始まった。 校庭すみに接岸した練習艦「富士」では、運用術や操舵術の練習生が、寝起きして訓練に励んだ。 艦船を自由に操る力をつけるには、幅広い学力と高度な技術が必要だった。航海学校の教育課程は、 当時の若者にとつて難解そのものだった、とか。 その様子を信号術練習生の場合で見てみよう。 信号術練習生は、海兵団入団後、四日間の選抜試験を受け、合格者は、特技兵分隊でニカ月間の訓練を経て、 航海学校へ入校した。
彼らの主な教育内容は次の通りだった。
・発光信号(モールス)、・手旗信号(一般、国際、海軍独自、略式の各信号)、
・旗流(きりゅう=旗の組み合わせによる信号で、種類は手旗と同じ)、
・発音信号(ラッパ、警笛、霧笛、号笛など)、
・象形信号、・発煙信号、・信号火箭(ロケットや信号けん銃)、
・識別信号、・霧中信号、・その他の標示信号。
ほかに海上衝突予防法、地天航法、天文航法、艦位測定(天体観測)、狭水道航海法、
気象観測(ラジオゾンデ)や天気図作成の気象術、艦船や飛行機の識別に距離の測定といった見張術などの教育も受けた。 航海学校は、昭和十九年後期入校の十ー期生が最後で、二十年一月以後は各海兵団で教育。 三月に気象部門が独立、土浦市に海軍気象学校が開校された。七月には、航海学校は校長、海軍大佐大石保以下全員が、 第一特攻隊所属の横須賀突撃隊となり、翌八月の終戦を迎えたのである。

原本記載写真
昭和9年に海軍航海学校が、横須賀楠ケ浦の砲術学校隣接地に開設された。 校庭すみに接岸した練習艦「富士」では、練習生が訓練に励んだ。写真は、今の本町、国道16号を行進する練習生たち

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参考文献・資料/リンク
横須賀市市立図書館
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