石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

海軍工機学校  『准士官以下を教育』
原文
海軍工機学校校歌
一、帝都の守り横須賀の
あや波寄する白浜に
文と武備との精うけて
至誠一途に研鑽の
教への庭に年ふりて
工機の誉れ日に増しぬ
二、三笠に高き皇国の
興廃ここに決すてう
千載不磨の信号を
仰ぎ寿ぐ伝統の
血潮高鳴る健男児
集いてここに千余人
海軍工機学校は横須賀市稲岡町、今の神奈川歯科大学や横須賀学院の建つ所にあった。 工機学校は機関科の準士官(兵曹長)以下を教育した。士官を養成する舞鶴市にあつた海軍機関学校とともに、 日本海軍のエンジニア教育の双へきだつた、という。工機学校は准士官を学生、下士官兵を練習生と呼んだ。 学生は高等科、特修科、専攻科の三科、一方、練習生は普通科、高等科のニ科。 それぞれ機関術、電機術、内火術のコースに分かれていた。 工機学校は、昭和三年六月に海軍機関学校から独立した。十九年八月には、横須賀市大楠町に分校が開設。 十月には機関学校が海軍兵学校舞鶴分校となったために、二十年三月に、工機学校は横須賀海軍機関学校、 大楠分校は大楠海軍機関学校と改称された。
大楠機関学校といえば機関科特別年少兵、特年兵の揺籃(らん)の地。海軍は長期計画として、 兵学校出身の士官と鍛え抜いた下士官の長所を兼ね備えた中堅幹部を育てるために太平洋戦争直前、 特年兵制度を設けた。終戦までの四年間、十四、五歳の若者が合計一万七千二百人が参加した、という。 多くは水中特攻「鮫竜(こうりゅう)」、「海竜」の要員で、奇しくもニ十年八月十五日の終戦の日が卒業式だった、とか。  稲岡町の工機学校、いや横須賀海軍機関学校の校庭には、朝な夕な記念艦三笠の偉容があった。 辻堂演習場までの行軍や陸戦訓練は、海軍の名物中の名物行事だった、と伝えられる。

原本記載写真
海軍工機学校は、機関学校とともに、日本海軍のエンジニア教育の双へきだった。 写真は、工機学校の校門=横須賀市稲岡町。かつての敷地には、今は神奈川歯科大学や横須賀学院などが建つ

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