戦前の小学校副読本「我等の横須賀」(昭和十二年刊)に、鷹取山は、こう描かれている。
「子不知(しらず)をすぎ親不知を登り見晴台に出るとー望千里。(中路)真向ひに鷹取山随一の難所、後浅間(あとせんげん)
が絶壁をなして聳(そぴ)えてゐる。石門をくぐり男坂にかかる。坂は僅(わず)かに爪先がかかるくらゐの段があるだけで、
足をかける度(たび)に崖がざらざらと崩れる。其(その)度に「はつ」と思っては夢中で岩にしがみつく。
一度、足を辷(すべ)らせれぱそれまでだ。はるか下の谷底には怖(おそ)ろしい岩が歯をむいて並ぶ。(後略)」
鷹取山は標高百三十九bである。ロッククライミング入門の最適な練習場。だが今は条件付きで岩場登りが認められている、という。
山頂近くには、横須賀市立鷹取小学校が建ち、湘南鷹取団地が広がるが、古くは神武寺に連なる深山幽谷の地。里人が鷹を捕え領主に献上した、
また鷹匠が住みつき領主が鷹狩りしたともいわれ、鷹取山と名付けられた、とか。
山全体が凝灰質砂岩。明治から大正末にかけて建材用石材として「鷹取石」の名で切り出された。そのために「湘南妙義」の名もある。
山頂から道を西へ行く。「十州望」と呼ぶ岩頭から天台宗は神武寺へ。行基菩薩が約千二百年前に開いた、という。
境内には、ポルトガルから四百年前に移植されたホルトの木がある。別名は「ナンジャモンジャの木」。薬師堂(本堂)は文禄三年(1594)ころのもので、室町時代末の建築様式をよく伝えている。
鷹取山と神武寺を結ぶ道のりは、楽しい。季節は問わない。登り口は、京急迫浜駅、田浦駅、神武寺駅、国鉄東逗子駅などから。
中でも、りょう線伝いの京急田浦駅からの道を行く人々が多いようだ。
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