石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

ラジオ体操 『各地の夏の風物詩』
原文
「全国の皆さん、おはようございます。さあ、きょうも元気で、体操を始めていただきましょう」。 江木アナウンサーの声が、全国のラジオから流れ出る。 このラジオ体操は、昭和四年二月十一日の紀元節を期して全国向けの番組となった。 七年には、大人向けの第二体操も始まり、各地に「ラジオ体操の会」が誕生。日本放送協会の「放送五十年史」(昭和五十二年刊)では 「ラジオ体操ヲ放送セントスル理由」を、こう説明している。 「老幼男女ノ別ナク家庭内二テ日課的二体操ヲナス習慣ヲ作ルハ国民保健上、必要ナルコトト思料セラルル処、最近、文部省二於テ考察セラレタル 『ラジオ体操』ヲ見ル二其(ソノ)運動方法等、覚エ易ク実施普及スルコトハ只(タダ)二国民保健上ノミナラズ其他二モ資スル処、不尠(スクナカラ)サルモノト信ズル二因(ヨ)ル」 ラジオ体操は、横須賀市内各地の夏の風物詩となった。 たとえば、逸見小学校学区の場合、小学校と児童保護会の共催で行われたのは、昭和八年の夏からである。 「逸見百年」(昭和四十八年刊)によると「ラジオ体操の会」一日平均の参加者数は、次の通り。力ツコ内は、一日の最多人数。 第一回(昭和八年度)十六日間=九百九十三人(千百六十四人)、第二回(九年度)十九日間=千五十九人(千四百二十三人)、 第三回(十年度)二十二日間=千百七人(千五百七十九人)昭和十年代になると、地域ぐるみの一大行事となり、子供はもちろん大人たちも、出席表のカードを持つて小学校の運動場に集まつた。 「昭和十七年、全国健民運動週間として本市主催で全国中継放送のラジオ体操大会を三笠艦前で実施、市民一万三千人が参加、律動美を目の前に見て市民は躍動した」と「横須賀市体育のあゆみ」(昭和五十三年刊)にある。

原本記載写真
戦前、ラジオ体操は夏の風物詩だった。横須賀市内では、昭和6、7年から始まった。10年代になると、地域ぐるみの大行事に…。 写真は、市立久里浜小学校(上)と船越小学校(下)の体操風景

寄稿・補稿欄
皆様からの関連する記事・写真などの寄稿をお待ちいたしております。

参考文献・資料/リンク
横須賀市市立図書館
皆様からの声
ご意見、ご感想 お寄せ頂ければ幸いです。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい


ご氏名 ペンネーム ハンドルネームなどは本文中にご記入下さい。 尚、本欄は掲示板ではございませんので即時自動的にページへ
反映される訳ではありませんのでご承知おき下さい。

メール:(携帯メールも可)