昭和五十六年十月から十二月にかけて横須賀市久里浜町八丁目、伝福寺裏遺跡で発掘が行われた。
市南部清掃工場建設のための下水道工事に伴う事前調査。現場は幅三b、長さ百b、深さ四bの溝だった。
発掘されたのは、丸木舟の前半分、木材、木の葉、植物の種子、木炭などの植物性遺物。地下水が豊富なためか保存状態がよかった。
ほかには鯨、イルカ、イノシシ、シカの骨や釣り針、やじりなども。
目玉は丸木舟。へさきを含め長さ約二b、幅約五十aのもの。舟のへりは腐敗しておらず、底の部分が残っていた。
直径約七十aの丸太を割り、たき火でこがして、石おので中をくり抜いたらしい。
工事のため、土留めに打った鋼鉄製の矢板で丸木舟は切断されてしまった。前半分だけが発掘された。
翌五十七年三月に改めて発掘、長さ約ー・五bの後ろ半分を取り出した。切断されたものの約五千年前、縄文時代前期
から中期にかけての約三・五bの丸木舟が日の目をみた。
当時の新聞の見出しには「声はずむ調査団」、「五千年前のロマン」、「ご先祖様も”海の民”?」などとある。
丸木舟は、長く空気に触れていると傷みが早くなるので、急いでポリウレタン樹脂で厚く包んだ。
現在は奈良市に送って、専門家の手で薬品処理中とのこと。
永久保存に耐えられるためには、二年以上かかる。予定では本年度に持ち帰り、つなぎ台わせてから市博物館に展示される、という。
この丸木舟は、縄文時代のものとしては全国で五番目。関東地方では千葉県の加茂遺跡(安房郡丸山町)、検見川遺跡
(千葉市)に次いで三番目の例。むろん神奈川県下では初めて。
ちなみに、県下では葉山町や小田原市で奈良、平安時代の丸木舟が見つかっている。
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