石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

吉井貝塚 『貴重な県指定史跡』
原文
横須賀市吉井。国鉄久里浜駅から北方五百bの京急沿線、コンクリート吹き付けの台地上に吉井貝塚がある。 ここは「城山」ともいい「源平盛衰記」にある三浦一族の出城、怒田(ぬた)城があった。 吉井貝塚は三つに分かれる。 第一貝塚=台地上の先端部にある。がけ下に京急電車が走る。昭和三十五、六年の切り崩し工事の事前に発掘された。 貝塚は北から入り込んだ谷の斜面にのぞみ規模が大きかった。東西約二十二b、南北約二十五b、貝層の厚い所は二bも。 出土品はリンゴ箱で五十箱分、縄文時代の早期、前期、中期、後期から弥生時代の遺物が、はっきりとした層となって出土した。 貝塚からは、ほかに骨角器、やじり、石匙(せきひ=石のさじ)、石皿などの石器を発掘。同時に貝類は力キ、ハマグリ、アカニシメダ貝など七十種類ほども。 マダイやクロダイの頭やアゴの骨が約千五百匹分、イルカ、イノシシ、クジラの骨も発見された。 クジラの発見によって、捕鯨という共同作業を通して、当時の社会構造のー端を知ることができる、といわれる。 第二貝塚=段ボール十箱分の土器や石器のかけらを発掘。それに神奈川県で初めてという縄文前期、関山期の住居跡が三つと炉跡も。 約五千年前のもの、とか。貝塚と住居跡の貴重な場所として高く評価される。 第三貝塚=第二貝塚の北、下方にある。昭和十一年七月に横須賀市文化財専門審議会委員の赤星直忠博士が調査。 結果は「史前学雑誌」(昭和十二年刊)に「神奈川県三浦郡吉井貝塚調査」として発表された。 ここは縄文早期の茅山式土器を含む貝層がおも。その上に、関山式や加曽利E式の土器が発掘された。  吉井貝塚の出土品、深鉢型尖(せん)底土器をはじめ浅鉢型土器、磨製石斧(ふ)、猪牙(いが)製首飾りなどは、 横須賀市博物館で展示中。 「吉井貝塚を中心とした遺跡」は、昭和四十八年十一月に県指定史跡となった。

原本記載写真
吉井貝塚は三浦一族の出城、怒田(ぬた)城址でもあった。京急北久里浜駅と久里浜駅の中間、 線路沿いにある。縄文から弥生の時代までの遺物から幅広く出土。おもな土器は、横須賀市博物館に展示されている。 写真は、吉井貝塚の一部

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