京急バス停「一騎塚」下車。富士見小学校わきを登り、武山の山頂を目指す。尾根に出ると間もなく標高二百二b、
竜塚(りゆうちょう)山持経寺は「武山のお不動さん」の名で親しまれる。
応永四年(1397)に奈良東大寺の沙門万務大阿闍利(しやもんまんむだいあじゃり)が諸国行脚の途中、
南武にあつた持経院に立ち寄り、高さ約一・二bの不動尊を本尊として、住民と世の安泰を祈願。その後、天和三年(1683)
に山頂へ移された、という。
「三浦古尋録」(文化九年刊)をひもとく。「此(コノ)山ハ三浦郡第一ノ高山二シテ此山ヨリ眺望スレバ安房(アワ)、
上総(カズサ)、伊豆、駿河、下総(シモフサ)ノ国々眼下二見下シ、三浦三崎ノ色、懸帆ハ海ヨリ湧出スルガ如ク実二目ヲ娯(ヨロコバ)スルノ勝地」。
四月から五月にかけての武山は、ツツジの花で埋まる。桜の花が終わるのを待つようにして紅、緋(ひ)、紫、白などの花が咲く。
山頂は毎年、初不動の日は参詣(けい)の人が絶えない。今年はー月二十八日だった。地元の武山観光協会の熱の入れ方は大変なもの。
初不動の日は、甘酒のサービスや名物のふ菓子を売る。売り上げは全山の清掃や植樹に使わせていただく、という。
昭和二十一年の協会発足以来のメンバーで会長を十一年間務め、昨年、相談役となった山田茂一さん(七七)にお話をうかがった。
横須賀市太田和一丁目にお住まい。
「ああ、初不動のふ菓子ですか。昔は、これといった土産がなかったので…。おふなら気軽に作ってくれるお店が佐野町にありました。
ご存知でしょ、おふは小麦粉をふくらまして、黒糖をまぶしたものです。それを先輩がした、しきたり通り、地元で取れた笹竹につけます。
それに『武山不動尊』という紙もさげますが、あれは代代のお上人が、木版を使って刷ったものです」。
山田さんの声には張りがある。戦後四十年、不動尊をめぐる奉仕で鍛えられたからだろうか。
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