横須賀市坂本町二丁目十三番地、柳沼勝治さん宅の裏に横穴が二つあった。
坂本の坂のわき、幅六十b前後、奥行き約三百bの比較的に大きい谷戸(やと)の南向き斜面に当たる。
昭和五十六年六月に急傾斜地防災工事に伴う緊急調査が行われた。調査団長は、横須賀市公郷町にお住まいの市文化財専門審議会委員、
赤星直忠博士が務めた。横穴は正確に書くと、標高四十六b、その上の尾根の標高六十九b、谷戸の地表は標高三十一bだった。
横穴のーつは残念ながら奥の壁と石壁のー部だけなので、調査の対象にはならなかった。
残る横穴は、奥の玄室は家形、奥行き三・一六b、幅二・九八bのほぼ正方形。
天井までは最も高い所でニ・五b。玄室に至る羨道(せんどう)は入り口の部分が欠けていたが、現存の長さニ・四四b、幅はニb弱だった。
特に出土品はなかった、という。
この坂本横穴の存在は赤星博士によって、ちょうど六十年前の大正十三年(1924)に発見されている。
「…羨道右壁高さ三尺、玄室との境から四尺五寸のところに、馬と思われる陰刻が左に傾いてある。拓本及びスケッチによると、
どうしても馬らしく思われる。長さ六寸、高さニ寸五分のものである」と、「馬らしき陰刻のある横穴」と題して「考古学雑誌」(大正十三年八月刊)に報告された。
その存在が広く世に知られた。しかし、今回の調査では、六十年前の馬らしい陰刻のあつた所は、泥壁になつていたり風化のために確認できず、
玄室右壁の中央部にわずかな線刻画が確認された。
「坂本横穴」は飛鳥(あすか)時代、七世紀中ごろのものと推定、横須賀市の横穴としては古いほう。
坂本横穴は、防災工事によるコンクリート製の壁面のため、残念ながら今は見ることができない。
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