石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

茅山貝塚 『粘土に植物の繊維』
原文
国電久里浜駅から西方五百b、横須賀市佐原のー角。茅山(かやま)貝塚は標高二十五bの三浦十七番札所、 慈眼寺の裏畑にある。ここは東京帝国大学人類学教室がまとめた「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治三十年刊)に載る著名な縄文遺跡のーつである。 茅山貝塚の面積は、東西二十b、南北十bほどだが斜面のためか厚さは四bも。掘り出された土器は縄文式土器の早期に属する。 昭和六年に茅山式土器と命名され、縄文式土器編年研究のーつの基準となつた。 簡単に縄文式土器を語ろう。なわを押し付けて作ったような模様、つまり縄文のつく土器がおもで、それが作られたころを縄文時代と呼ぶ。 約九千年前から約二千年前まで続いた、といわれる。縄文時代は土器などの特徴によつて早期、前期、中期、後期、晩期に分かれる。 早期の遺跡は三浦半島の場合、茅山貝塚のほか吉井、平坂、夏島、大浦山、三戸(みと)貝塚がある。 縄文式土器の色は黒みかかった茶色で厚手、形は深鉢型、つぼ型など。古いものは尖底(せんてい)、つまりとがり底の深鉢型が多く次第に丸底、平底と変わった。 とがり底は炉の中につきさして煮物をするのに便利だった、ようだ。 茅山式土器の特徴は、材料の粘土に植物の繊維が混じる。模様は燃(より)糸文や押型文に変わつて細隆起線文、条痕文、沈線文がみられ、貝がらで文様を刻んだ。  ほぼ同じ時期の吉井貝塚は向かい合った東側の台地に。三`近くは離れているだろうか。その間は、深い入り海だった。 そして背後は山、また山。海の幸、山の幸に恵まれていた。貝塚からは、力キ、アサリ、ハマグリ、アカニシなどの貝がらや、 イルカ、タイ、スズキ、エイ、マグロやイノシシの骨も見つかっている。 昭和二十九年十二月に県指定史跡となった。

原本記載写真
横須賀市内をはじめ三浦半島は、考古学の世界を知るうえの宝庫である。縄文式土器の基準となる土器が多く出土されているが、 そのーつが茅山式土器。写真は、横須賀市佐原にある茅山貝塚。付近の開発が気にかかる

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