石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

開港50周年 『記念事業を盛大に』
原文
大正四年(1915)に横須賀開港と海軍工廠(しょう)創設の五十周年を迎えた。 慶応元年(1865)九月二十七日、今の米海軍基地内の内浦で行われた鍬(くわ)入れ式から五十年たった。 明治元年(1868)わずか六百四十三戸(そのうち横須賀村は二百六戸)が、大正三年末には二十倍以上のー万三千七 十八戸、人口は七万人を超えた。当時わが国の都市は七十。人口では横須賀市は二十一位、関東地方では東京、横浜に次 ぐ三番目の都会に成長した。 開港五十周年の記念式典は大正四年九月二十七日、今の横須賀市緑ケ丘にあつた高等八幡山小学校講堂で行われた。 海軍軍楽隊の演奏で開幕、有吉県知事はじめ来賓が参列したが、特に七十二人の高齢者も招待された。 この日、田辺男外鉄(おとてつ)横須賀市長は、次のように祝辞を述べた。 「惟(オモン)ミル二我ガ横須賀ノ地タル三浦半島のー角二偏在シ、久シク時世二閑却セラレタル一漁村二過ギザリキ。 慶応元年、幕府、地ヲ相シ造船ノ業ヲ当港二起シ幾許(イクバク)モナク王政復古、開国進取ノ皇漢(コウバク)ヲ 足メラルルヤ、製艦ノ術駸々(シンシン)トシテ発展シ、海陸軍備ノ拡張卜相待ッテ本市ノ戸口、日二増殖シ(中路)、今昔 ヲ回顧セバ、誰力隔世ノ感ナキヲ得ムヤ…」 ー記念事業としては、開港記念メダルの販売、「横須賀案内記」や「横須賀海軍船廠史」(三巻)の刊行、 小学生による旗行列や各町内のみこしや山車が繰り出された。全市のみこしがー堂に会して渡御したのは、空前の催し物だった、という。 その後の町内ごとの祭礼を盛り上げるきっかけになった、とも。 また、市内十カ所に設けられた舞台では「横須賀沿革史劇」「新曲海の都」「四季米の実」などが演じられた。 「戦前で昼夜を分かたずにぎわったのは、あの時ぐらいでしょう」と語るお年寄りが多い。

原本記載写真
大正4年(1915)秋、横須賀市は開港50周年のお祝いでにぎわった。全市のみこしの渡御は町内ごとの祭礼を盛 り上げるきっかけになったという。写真は、当時の汐留町(今の汐入町,2丁目1区)の山車(だし)

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