石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

「芳魂永存」の碑 『亡き娘しのんで…』
原文
龍本寺の境内のー段下。日蓮上人がおこもりしたという窟(いわや)「お穴さま」のすぐ上に石碑が二つある。 一つは自然石で「芳魂永存」と刻まれ、書は徳冨蘇峰(そほう)による。蘇峰は文久三年(1863)熊本県で生まれ、 明治から昭和にわたる九十五年の生涯は新聞記者、教育者、事業家として足跡を残した人。 この碑は昭和十二年に建てられた。当時、横須賀で検事を務めていた山口昇さんに、雪江さんというお嬢さんがいた。 学問を好み教養豊かなー人娘だったが、不治の病のため横須賀共済病院で亡くなった。 故郷の山形県に埋葬されたが、父親のあまりの悲しみに知人が集まって、裁判所や共済病院の見える、 この場所に碑を建てた、という。 碑の裏には当時、横須賀で有名だった書道家、風外の筆による次の詩が刻まれている。 「憶雪江嬢 承性洵敦雅 学深才色芳衆 望凝化碣成佛 寿無量 (風外賢題)」 つまり「性を承(うけ)洵(まこと)に雅(が)敦(あつし)、学深くして才色、衆に芳(かんぱし)、 望むらくは碣(かつ)に凝(ぎょう)けして成仏し、寿無量ならんことを」と読み下す。 亡き娘を思う親の気持がうかがえる。 もうーつの碑。浦賀水道を見下ろすかのように建つ。「第七大手丸海難慰霊碑」とある。 昭和四十一年十月十一日の夜、剣崎仲で東神油槽(株)のタンカー第七大手丸(三百六十五d)が台湾の貨物船 チャンキング・ビクトリー号(七千三百五d)に追突され沈没した。七人の乗組員は全員が絶望。三カ月にわたる捜索に もかかわらず、遺体は発見されなかった。社長の大河鶴四さんの宗旨が日蓮宗のために、遭難現場に近い龍本寺に慰霊の 碑が建つ。毎年、遭難した日には供養が行われる、そうだ。  夏草おおう山辺の碑二つを取り上げた。老婆心ながら教訓一つ。「碑には深い大きな根っこがある」

原本記載写真
日蓮上人がおこもりしたという「お穴さま」のすぐ上に、ひっそりと建つ2つの碑がある。 写真は、「芳魂永存」の碑と「第七大手丸海難慰霊碑」。「芳魂永存」のほうは、亡き娘を思う親の気持ちがうかがえる

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