京急馬堀海岸駅に近い失の津坂を登ると、右は桜が丘の住宅地。その裏手に標高七十五bの明神山に安房口(あわぐち)
神社がある。だが、正式の参道は吉井からだ。一の鳥居は、はるか下の上吉井・馬堀間の道路わきに建つ。
神社には社殿がない。玉垣の中のご神体は長方形の石。長さ百九十八a、幅八十六a、正面の高さ六十四aの一見、凝灰質砂岩か、と思われる。
「ソノ霊石ノ面、安房ノ方二対スルヲ以テ古来、安房口明神卜尊称ス」と「安房口神社明細記」にある。
また「社伝」によれば、石は「安房国二座ス安房ノ大神、天太玉命(アメノフトダマノミコト)東国鎮護ノタメ御霊代トシテ古クコノ山頂二出現」した。
ご神体は安房の国から飛んできたとも。天太玉命は生産の神とか。その子孫の天富命(あめのとみのみこと)が四国の阿波に渡って栗(あわ)を栽培。
その後、東国に新開地を求めたのが安房の国だった、という。
また天太玉命は、古くから安産の神でもあった。かつては、石棒の形をした陽石があり、産婦が借りて持ち帰り抱いて寝ると安産…。
吉井の里には難産は聞かない、といわれる。
この神社は盤座(いわくら)の形式をとるという説がある。古代、社殿の建築が現れなかったころ、巨石や大木に神霊が降りるとした。
一種の自然崇拝だ。有名なのは大和(やまと)三輪山のふもとの大神神社。奈良県桜井市にある。
神奈川県下では、川崎市高津区の影向寺にある影向石、中郡大磯町の延台寺に伝わる虎御石などがある。
だがー方、盤座を否定する説もある。「…この大石は盤座ではない。かつては別に陽石があって陰陽二元の神、即ち妊娠安産の土俗的な石神信仰に基づくもの
であることが、ほぼ了解し得た」とは「横須賀市文化財調査報告書U第四集」(昭和四十八年刊)に述べられている。
なお、天太玉命をまつる安房神社は、千葉県館山市の郊外にある。
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