石井 昭 著 『ふるさと横須賀』
横須賀繁栄策 『93人がアイデアを』 |
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昭和八年の神奈川県下四都市のおおよその人口と生産額は、次の通り。 横浜市(六十八万人)一億七千七百万八千円、横須賀市(十六万人)三百七十八万五千円、川崎市(十四万人)一億二千百六十八万七千円、 平塚市(四万人)七百十七万円。 つまり今から五十一年前の本市の生産額は、横浜市の四十六分のー、川崎市の三十二分のー、平塚市の半分といつたところ。 こういう経済事情の翌九年十二月、横須賀市内にあった相陽時事新聞社から「横須賀市繁栄策」という本が刊行された。 これには、名士といわれた九十三人のアイデアが載つている。その項目をあげてみよう。 【観光】・記念鑑三笠を中心に観光コースを・猿島の払い下げ・児童の作品を軍港のみやげに・観光客にバスの割引き ・海軍飛行機の公開・東郷神社の建立・国防思想の普及をかね海軍参考館を・走水神社の昇格を・素通りの観光客の宿泊 ・大勝利山の公園化・箱根や熱海に対抗して海水の温泉を・龍本寺を含め観光コースの整備と宣伝を。 【産業】・小川町から山崎にかけ港の築造・山手線のようなバス線を・山崎から平作川へ運河を作る・湘南電鉄(京浜 急行の前身)の延長を・大企業の出先きへ課税を・遠洋漁船の建造所を。 【市民生活】・海軍購売所の対応策・地元の商店で買い物を・植民地気分をなくそう・関東の名勝金沢八景と台併・ 各町内ごとに縁日を・花柳界の自覚と改善・道路の拡張や住宅の増設・艦隊乗員へのサーピス。 「電車に乗つて横浜や東京へ買い物に行くのを、なんとかくいとめよう」という声が、すでに五十一年前にあった。 観光客は素通り、買い物は電車で、しかも海軍施設は立ち入り禁止。横須賀市のとるべき行く道は・・・。 |
大震災後の復興計画を踏まえ「横須賀市繁栄策」が話題の中心となった。当時、市内の名士といわれた93人の アイデアが内容だった。なかには、その後、実現したものも。写真は、龍本寺から見た若松町と大滝町。 左下が平坂下の三差路にあたる |
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