石井 昭 著 『ふるさと横須賀』
若山牧水夫妻歌碑 『一家ゆかりの地』 |
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京急長沢駅下車がいい。野比川にかかる野比橋を渡る。国道沿いの海岸へ出ると、長岡半太郎記念館の真向かいに、若山牧水・喜志子夫妻の歌碑がある。碑は台石上でもー・八bの高さ、真鶴小松石で横須賀観光協会が建立した。 除幕式は昭和二十八年十一月三日、当時ご健在だつた喜志子夫人や、長男の旅人(たびと)さんも参列された。碑には海に面して牧水の 「しら鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも そまず ただよふ」 その裏には喜志子夫人の 「うちけぶり鋸(のこぎり)山も浮び来と 今日のみちしほ ふくらみ寄する」 若山牧水。名は繁、明治十八年(一八八五)八月二十四日、宮崎県に生まれた。短歌を作り始めたのは中学二年生だった、という。二十歳の時、最愛の母の名マキと水を合わせて「牧水」と号した。四十五年五月、二十八歳で太田喜志子と結婚し東京・新宿に新居を構えた。三年後の大正四年(一九一五)三月に喜志子夫人の病気療養のため、北下浦村(今の横須賀市長沢)に移り住む。ここで長女の岬子(さきこ)さんが誕生。ー家は一年十カ月の滞在後、翌五年十二月に東束に引き揚げ、 小石川区金富町に落ち着く。 牧水は、明治四十一年に初めて歌集「海の声」を刊行、二年後に詩歌誌「創作」も。長沢に滞在中は歌集「砂丘」「朝の歌」を世に出した。 昭和三年九月十七日、牧水は沼津市千本松原の自宅で永眠、四十三歳。漂泊の歌人にとつて北下浦の長沢は終焉(しゆうえん)の地、沼津とともに、大きな足跡を残した所といえる。 |
昭和28年11月3日、この地にゆかりのある若山牧水夫妻の歌碑の除幕式は、喜志子夫人を招いて行われた。「牧水と北下浦」の著者、青木栄一さんによると、牧水の歌碑は全国で71カ所あるという。写真は、長沢海岸の歌碑 |
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